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灰色の街から

九ヶ月間が曇り空。この街を愛して住んで、十五年を超えた。
ほぼ酔っ払ってる時間につぶやきを書いてます。

雨や曇りがいきなり少なくなったと思ったら!
もう晴天続きのシアトル。
庭のドックウッド・・・花ミズキが満開。
ここ数日の気温はまさに
ここの夏日。


このところ、
演劇の鑑賞をいっぱいしてる。
これは
ジャニスじゃっプリンの夜という。
私の最初のイメージとは違う
コンサートみたいなのり。悪くは無かった!

ごめんなさい、のんきに食べ物の話で。
いつも
ありがたいと思っている・・・・世によく言うもっと貧しい人がいる
もっと、不幸な人がいる。

確かにそのとおりと思う。
そして
被災地の方・・・
苦しい状況だと思います。つらいだろうと想像できます。
本当にごめんなさい、がんばってください・・・

アップするのをためらっていた・・・



これはフィリピンの貧しい子供たちを助ける団体の
アメリカ支部の人がシアトルに来て
一緒に夕食を食べた。

私の気分展開につかう・・・
主に欝がひどくなったときに出かける韓国の和食の店。
この二品とチップを込みで$15超え。



いよいよ、進んでいる
わが母親の認知症。

海外在住の私は年に数週間しか彼女を見ることができない。

81歳の彼女。
その人生を思うとき、私も人並みに涙が出てくる。
決して楽で幸せばかりとは言えない人生。

献身的に家族に尽くし、夫に尽くし
安全安泰を身上とし
挑戦とかわくわくする経験は排除。

昭和の・・強いやさしい、そして愛情深い母親。
自分の人生をささげた・・・・

父は
長いこと、家族のために必死で働いてきた。
たぶん、自らの楽しみなど無かったと思う。
それでも
ぼけてしまった妻を
とても大事にし、その恩返しとばかりに彼女をケアする。


実は一番大変なのは父。
わからないことが多くなった母は
したくないことはしないし、五歳児のように
好きなことをわめく。

現在
オムツをはずすと・・・・家中にいろんなことが起こる、当然。

それに疲れ切っている、91歳の父。
彼は80代後半で
人生で初めて台所に立ち
洗濯をし、母のパンツを履かせる。

それらは苦痛ではない、と言っていた。(恩返しの意味でも)
でも、
糞尿の始末が
今かなり苦痛を与えているよう・・・・

来月
私は帰って少しだけ助けようと計画中。