残念ながら私には、
誕生日ケーキのろうそくを吹き消した記憶がない。
幼い頃にやったのかどうかは分からないが、
少なくとも物心ついたときに
親がバースデーケーキを用意してくれても
ろうそくまで用意してないことは覚えてる。
数年前、友人の家に赤ちゃんが生まれた。
会いに行く日は、たまたま私の誕生日だった。
友人はバースデーケーキを用意してくれて
ろうそくまで立ててくれた。
誰からケーキを用意してもらい
ろうそくまで立ててもらったのは初めてだった。
胸が熱くなった。
自己否定がひどい私は感動をした。
ろうそくに一本一本火が付けられていく。
ハッピーバースデーの歌が軽やかに流れる。
子どもが自分の誕生日を喜ぶ気持ちがよく分かる。
高揚感が高まる。
しかし、同時に嫌な予感が全身を駆け巡る。
もう一人来ていた友人のお子さんが
ろうそくの火を消すのではないかと
思ったのだ。
私はーー
悪い予感が当たる人間である。
そして、歌い終わった瞬間。
その予感はものの見事に当たってしまった。
子どものしたことかもしれない。
それでも『残念』の文字は消えず、
今もなお、私の中で生き続けている。
私は決して怠慢な方だとは思わない。
だけど、
時々、自分のために時間を使ってくれる人を
求めてしまう。
さりげないことでいい。
時間を使わせること。
それは、その人の命をいただくことだと思ってる。
だから、
ケーキを用意してくれた友人の気持ちは
とても嬉しかった。
ろうそくを用意してくれたことだけでも
感謝して、
一つの思い出にすればいい。
その子が代わりに火を消したから、
忘れられない思い出になってるのだろう。
だけど、いつかでいいから
誕生日の主役をさせてほしいと思う。
保育園のとき以来、
主役はなくなったことを、
私は今も悲しく覚えているのだから。
《終》