22日は修了式。
長女の小学3年生の一年も文字通りあっという間に過ぎていきました。
家ではややめちゃくちゃなところが目立つ長女は、学校ではそれなりにやっているんだなというのが表れていたように思います。
今年は1年間休まずに学校に行けました照れ

前日お休みでぼーっとしていたのか、担任の先生に一年のお礼の一言を書くのを忘れました…
離任式のときに渡してもらおうか考え中。


さて、そんな修了式の夜。
友人から、モヤモヤにどっぷり浸る出来事があって笑い飛ばしてほしい。と連絡があり、
電話することになりました。

「笑い飛ばしてほしい」っていうのがなんともなんとも。

内容は控えますが、彼女はちょっと特殊な仕事についていて、新年度のことを職場のことなのに自分のことのように心配して(もちろん自分の仕事にもかかわるので)の内容でした。

こういうときに、私の存在を思いだしてもらえて本当に嬉しくて、とことん普通の私の何ができたかはわからないけど、私も勇気づけられる時間になりました。

彼女いわく、私の視点は独特らしいです。
きっと、彼女とはまったく違う職場に身をおいていて、彼女の立場とか職場の雰囲気とか分からないからいろいろ構わず発言してしまうので、そう感じるのだろうと思います。
同業ならいろいろ分かりすぎて、だからこそ言えなくなることがたくさんあると思うのです。

私、自分の見方は至って普通だなぁと思っています。
まぁ、どんな人も自分の感覚は多かれ少なかれ普通だなぁと思っているのだと思います。
でもそれが他人からみると「独特」に変わることもあるなんて、なんだか不思議です。

ひと通り話を聞いて(聞けてたかなー)、彼女はなんだか元気になった!と言ってくれました。
嬉しいなおねがい

話を聞いててて、私は思ったんです。
彼女は今とその先を見ている。
今ここにいながら、少し未来が今から見るととても心配で、モヤモヤが発生してしまってるんですよね、きっと。

これって愛だなぁーと思うわけですね、個人的に。
どんな未来が待ってるかわからないこそ不安で当然というか。
もしもマイナスの要素しかなかったとして、でもやってみないとわからないこともあったりして、
マイナス×マイナスが奇跡的なプラスになったりすることもあったりして、
関わる人が違うとマイナスとされていた要素もプラスに変わることもあるかもしれなくて…

彼女はもともといいところに目の行く人なので、話を聞いたときにびっくりしたけど、
でもそんなこともあって当然ですよね。
そしてきっと彼女ならうまくこの状況を切り抜けていくような気がしています。

いずれにしても、彼女が選択できる範囲でいい方を選択しながら未来が明るいことを祈ります。


余談ですが、二年間に及んだ子供会の役員がようやく終わりました。
データとか資料などなどを引き継いで、最後の来年度の会費の領収証を作成して渡しました。

終わったー!

終わってみるとなんだか私の仕事はこれでよかったのかな?大丈夫かな?と心配ですが、
来年もきっと大丈夫。とてもしっかりした会計さんで心配はありませんウインク

とりあえずホッ。
明日から児童クラブのお弁当作りに励みます。