アドラー心理学では度々出てくる「課題の分離」。
それは誰の問題でしょう?というやつです。
例えば、ですけど、
学校の宿題をやらないで困るのは、本人。
母自身は実はそこまで困りません。
この説明は単純過ぎますが、その「課題の分離」について、長谷静香さんがご自身の経験をもとに記事にしてくださいました。
読んでもらいたいのはこの記事で、
ここからは私の主観です。適当に流してください。
実は私も小学校に入ってからは長女の忘れ物は届けたことがありません。
暑くて水筒を忘れてしまっても、
音読カードを忘れてしまっても、
漢字ドリルを忘れてしまっても…
長女はもともとモノに固執もなく、プライドもなく(?)あまり「こういうのヤダ」みたいなのがありません。
良く言えば、小さいことは気にしない、悪く言えばチャランポラン。
そんな感じです。
どちらかというと本人が忘れてしまったことにも固執しないので私としてはとても扱いやすい部分もあります。
あと、登校班で出ていってしまったあとは、もう仕方ない、という私のあきらめもあります。
ところが次女はそうは行きません。今のところ。
私が保育園に朝送る都合上、忘れ物をしてしまった現場を見てしまったり、年中さんで介入がまだ必要と私が思っているのだと思います。
あと性格上、けっこう固執します。かなりめんどくさい人です

お支度のリュックまるごと忘れたり(この場合もほとんど取りには帰りませんが)、この間はプール初日にプールバッグを忘れ、
保育園に着くなり、泣きながら怒るので初回なのでということで取りに帰りました。。。
そんな次女は自分でもとても注意深くなり、お支度の終わったリュックは玄関へ置く習慣がいつのまにかできたり、
プールバッグが次いついるのかを自ずと把握していたりします。
保育園のお手紙もこちらが言わなくても出せることが増えました。
二人はとても対照的だなぁと思います。
そしてその子によって対応がやや違う私もいけないなぁと思ったりもします。
年齢も性格も違うからいいのかな。。。
課題の分離。
その解釈が私にはとても難しく、黒か白かになりがちなので、本人の課題として見守るではなく放置してしまいがち。
あとは知らないよー的な。
今回の記事を読んで直感的に思ったのは、
課題の分離って当人と見守る側の心の分離の部分もあるのかなーということ。
子供が忘れ物して、そのことが気になって気になってソワソワしたり、どうしようって親がなるくらいなら届けるほうが精神衛生上いいんだろうし、
ま、なんとかなるよね!と思ってて実際なんとかなったのならそれもいいということ。なんとかならなかったとしてもそれもまたヨシ。
届けられてもそうでなくても、子供はこの1件でそれなりに学ぶことがあるんだろうな、と。
届けてくれた子はお母さんにの親切さに触れての、家族や周りの子にも親切にしようって思うのかもしれないし、
届けなかったとしても、その状況を打破する自分なりの方法を考えたり、明日からは気をつけよう!って思えるのかもしれないし。
どちらにしてもその子なりの学びはあるのだなぁーと。
親もまたどちらにしても考えることや気づくことがあるのだなぁーと。
そんなことを勝手ながら思いました。
そして支援するこちら側は、自分で選択してこうしている、というのも意識するのもいいのかもしれないですね〜
私の場合、よく怒りますが
これまもまた選択していることなのですね…

どちらかに偏ることもなく、どちらかに決めることもないことなのかもしれないですね。
でもどこか軸は必要なのかな。
…とはいえ、我が家では私がどこかで忘れ物してほしくない!と思っているようで、家を出る前までかなり口うるさい。笑
だからこそ忘れられたときの衝撃はなかなかです

どちらにしてもまだまだ修行が必要ですね。
見守るって難しい。口を出しているほうは絶対楽。今の私はそう思います。
ある程度見守り、うるさくない程度に口を出す。こんな理想的なことができるのかわかりませんが…
やっぱりバランスだな!と思いました(結局ソコ)。
三連休の始まりですね。
暑くなるようです。
この三連休、試験があります。無事に終わりますように。