長女の話ではないのですが、
とあるお母さんと話していてふと思ったことです。
「1年生の時は、クラスで仲間はずれにされてて、2年生では児童クラブで仲間はずれにされるようになった」
とのこと。
この事実だけを聴くとなんだかとてもとても悲しい出来事のようなのですが…
果たして本当に「仲間はずれ」なのかということなのです。
これが自分の子供だったら、と考えるとこんなに冷静には考えられないかもしれないのですが

小1、小2の話でも実際にはあるようなのでなんとも言えないのですが、
子供ってとても流動的で、その時の気分で動くものなのかなと私は思っています。(これ、うちの長女だけなのかな…)
だから、その日近くにいた友達とたまたま遊んじゃう、とか、
タイミング的に声をかけられずに休み時間が始まっちゃうとか、
なんとなく紛れて遊べちゃう子がいたりもする中で、それができない子もいる。
それだけの話なんじゃないかなーって思ったりする局面もあります。
(それだけじゃないこともあるみたいだけど)
だから、この子を「仲間はずれ」にしてる感覚もなく、一緒に遊びたくないわけでもなく、
単にひとりでいることに気づいてあげられない。声をかけることも忘れちゃう。(低学年ですし…)
そんな感じだと思う私は甘いのでしょうか。
子供なんて遊びはじめたらそっちに夢中すぎて、一緒に遊べてない友達のことまで思いやる余裕もないわけで、
「入れてー!」ってそこで言えたら一緒に遊べるんだろうけど、
それができないと、「仲間はずれ」?になるのかな。それはちょっと違うのかな…と思います。
厳しいなと思うのだけど、自分から入っていかないことを選択しているとも思えるのです。
これでもしも、自分から働きかけてるのに、
仲間に入れてもらえないとしたら、それは「仲間はずれ」なのかなぁって。
でも今日はタイミング的にはダメでも違う日はひょんなことから大丈夫ってこともあるんだろうし、一緒に遊びたいなって思いがあるなら輪に入る勇気も持ってほしいし、
その勇気を持つのがしんどければ、一人でいるのも楽しいやって思える勇気も持ってほしいなーとも思います。
私は同じ友達いつも一緒にいるタイプで、
あまり融通の聞かない友人関係だったなーと思います。
誰とでも遊べる子ではなかった。
今ならみんな無理やり仲良くする必要はないと思えるけど、少しだけ許容範囲を広げてみたり、自分から輪の中に入った行ける子だったら良かったなと思います。
長女の話がほんとなら、彼女自身はあまり特定のお友達といつもいるという感じではなくて、かなり流動的。こっちのほうも「仲間はずれ」なのでは…と心配になりますね

「○○ちゃんに▲▲しようって言ったら断られたから一人でやった」とか、
「△△ちゃんは私にはウソつくんだよー」とか。
なんか聞くエピソードがたまに悲しいんですけど…

でも本人は至って気にしておらず…
(というか気にしてる期間が短いという印象)
その時遊べる友達やその時自分がやりたいことを一緒にできる子と遊んでいるようですね。
それがいいことなのかどうなのかわからないし、高学年になればなるほど女子は複雑になってくるんだろうし…
今から悩むよりはいいのかなー

こういうことで悩んでしまうその子は、やっぱり繊細で感受性も豊かな子なのだと思うし、気遣いのできる子なのだと思います。
反対に悩まない長女はやはりどこか雑な奴なのだと思います
そのことで誰を傷つけてないといいなと祈るばかり。

みんなと仲良くする必要はないけど、この人とは仲良くできるな、したいなって友達が見つかるといいなとは思います。
長女には、保育園時代はいつも一緒!と思えるお友達がいたのですが、小学校が別れてしまいました。
入学以来、特別仲のいい友達がいない気がするのは、やっぱりこのお友達を超える子にまだ出会えていないんだろうなーという気もします。
二人の結びつきは母が考えてるより強いのかも…(あ、長女が一方的にそう思ってるだけなのかもしれないけどね)
長くなりました。
これからも友人関係はいろいろあるんだろうな〜

何かあった時は否定せず聴けるようにしておきたいなーと思います。