通勤で聴いてるラジオで「暗闇ごはん」の話をしてました。
言葉だけ聞くとなんだか怪しげな感じですが、心にとまったので書きます。
「暗闇ごはん」は浅草のあるお寺で行われているものらしいです。
アイマスクをしてご飯をいただくんだけど、視覚からの情報がないので、
食感・味覚・臭覚などを研ぎ澄ましていただかないと味が分からないとか。
で、見えないと視角の情報はないから、見た目で「おいしそう[E:restaurant]」などの感想は
出るはずもなくて、食べるまでの不安の方が先に出てしまうから、
作り手としては少し切ないそうです。
でも、いいこともあって、
料理の中に、茄子の煮びたしと茄子のヘタ(←これも食べられるんだけど)が出てきてて、
通常見えてると、「ヘタは食べないもの」っていう認識があるから
食べてはもらえないんだけど、見えないことで食べてもらえて、かつ、
「おいしい・・・」と言ってもらえるらしい。
なんだか不思議だなぁ・・・なんて聴いてて思いました。
視覚から入る情報って大きいんだね。
その昔友達が、桃の天然水のペットボトルにレモンの天然水を入れてきてて、
飲んだらなんだかさっぱりわからなかったもの・・・
桃天のペットボトルを見てる時点で、ある程度味を想像してるから、違うものがきて対応できなかった・・・みたいな感じだろうなぁ。
私たちはたぶん、目からの情報が多すぎて、それに翻弄されたり、
思いこんでしまったりって多いのかも・・・と思います。
見なきゃよかったってことも少なからずあるし[E:coldsweats01]
でも「百聞は一見にしかず」や「目は口ほどにものをいう」などの慣用句・ことわざが
あることを考えると、見えるってことはやっぱりすごいんだろうなーと思ったりもします。
いろいろあるけど、見ただけで判断してはだめだし、見なくてもだめなわけで。
その前に、見えることにも同時に感謝するべきなんだろうなーって思いました。
人はいろんな感覚をもって生活しているから、それをフルに使って
生活していきたいなと思いました。
それによって新しい発見もあるんだろうしね[E:shine]