幼児の発言は面白い。
その子の親との会話も面白い。
以下、とある親子の会話と、傍らで聞いていたこまの独白。
ケース1:公園での会話
母「今日は何曜日だったっけ・・・携帯忘れてきちゃったわ」
女児「きょうは、すいようびだよ!」
母「そうか水曜日だったかー。よく覚えてたね、ありがと!」
女児「ふふふ。ねー、ママー。これからクイズを出しまあす。」
母「なあに?」
女児「水曜日は、何曜日でしょうか?」
こま(難問すぎでしょ!しかも今日、水曜じゃないし・・・)
ケース2:ファミレスでの会話
男児「ママぁ、ぼくね~、甘い塩分が好きなんだあ。」
母「そりゃなによりでございました。早く何食べるか決めてくれる?」
こま(お母さん、冷たっっ!!せめて矛盾点ぐらいは突っ込んであげて?)
ケース3:遊園地内のレストランにて
女児「・・・。」
父「どうした?」
母「たぶん、眠いのよ。」
父「えっ、まだご飯が来たばっかりじゃないか。寝るなら食べちゃってから寝ろよ?」
女児「・・・。」←目を閉じてしまい、うなだれる
父「ほら、お前の好きなオムライスだぞ。食べ終わったらごほうびに抱っこしてあげるから。そしたら寝ていいから。これ食べるのだけ、がんばりな。」
こま(ん?ごはん食べたごほうびに抱っこって、おかしくないですか?ごはんを食べられる上に、食べたら抱っこしてもらえて、しかも寝られるって・・・いいことだらけじゃないか!!いいなー、オムライス食べてあげるから、あの子になりたいわー。)
ケース4:七夕の短冊を見て
とある短冊に書いてあったお願い事。
『東海道線になりたい』
こま(なんじゃこりゃ。運転士になりたいとかじゃなく、東海道線そのものになりたいのかね。まだトーマスになりたいとかだったらかわいらしかったのに。渋好みだね。)
子どもって、はたから見ると面白いけど、世界が自分中心に回っていなくては気がすまなくて、自我のかたまりで、知ったかぶりで、残酷なほど素直で、こちらの都合をお構いなしにかまってちゃんな生き物ですよね。
甥っ子姪っ子を見ていても、その親(兄弟)を見ていても、自分の子どもじゃないとやってられないことばかりだろうなあ、とつくづく思います。
でも、かわいいんだってさ。
子どもの笑顔とか寝顔を見ると、日頃のイライラとか体の節々の痛みも一瞬吹っ飛ぶんだってさ(笑)
日頃辛そうなのに、みんなそう言うんですよ。
そんなもんなんだねぇ。
さて、副腎疲労の治療を始めてからというもの、だいぶ人間らしい生活を取り戻してきた私ですが、そしてもう30代も半ばですが、まだ心からは子どもを作りたくなっていません orz
正直、年が年なのでアタマでは作りたい気持ち満々なのですが、いかんせん、カラダが猛ストップをかけます。
「今じゃない」と。(林修先生?)
おそらくこれも副腎疲労が関係しているのです。
みんながみんなじゃないでしょうけど、重度の副腎疲労の人はまず間違いなく性欲が低下します。ええそりゃもう、ビックリするほど。私の場合は、低下というよりはまるでなくなってしまいました。
担当医師に、一体どうなっちゃったんでしょうか、私は!?(・Д・)と相談するほどでしたから(笑)
性欲というものは、ありすぎるのも困ったものだと思いますが、逆にまったくなくなるというのもかなり違和感がありまして、居心地悪いというか不自然というか、決して気持ちはよくない気分になります。
生命力の一部といいますか、生理的なエネルギーの類だと思うので、それが枯渇しているとわかったときは体の中で何かおかしいことが起きている、と思いましたね。
(いずれ、副腎疲労の体験談をアップしていく予定ですので、アメンバー記事でこのあたりのこともお話しする予定です。
サブタイトルは「こまの副腎疲労、一番の被害者は主人」の予定(笑))
しかし、治ったらちゃんと子どもを作りたくなるのかなあ。もはや健康体のときの自分って一体どうだったっけ?状態なので、果たしてそういう境地に戻ることができるのだろうかと。今だと全然想像できませんけど。
ただでさえ主人がどちらかというと子どもを持つのを望まない派なので、私がこのままの状態ですと本当に持ちたいのかどうかを主張できないんですよね。
私の副腎くん、頑張ってくれぃ。
あ、頑張っちゃダメなんだったわ・・・^_^;
あまりにもゆっくり過ぎても困るけど、少しずつ回復してくれればいいからね。
頼みますよ。