僕はたびたび、性格が変わった。おかしくなったと言われる。僕の亡くなった爺さんからも「いつの間にあの子(ぼくのこと)はあんなになっつろう」などといわれていた。僕の周りの友達たちもなにかがあったのだろうとよく陰で言われていることを知っている。僕はもう長い間30年以上)社会不安障害に悩まされています。僕には誰にも話したことがなく誰にも知られたくないことがあります。僕が隠せば隠すほど社会不安障害は治ることがないだろうとの思いから僕を知っているみんなに知ってもらおうと打ち明けることとしました。

始まりは中学校2年生の時でした臀部の尾骨が臀部の割れ目からずれた位置にぼっこりと出ていたのに気づいた時です。なんだろうとおもって合わせ鏡で見ると、大きなできものができており、さらに尾骨が肉眼でわかる程度に出ていました。最初のうちは母親にお尻が変になっているので見てくれとお願いしたが、「知らんちや、お父さんに見てもらいや』となんどかけあってもとりあってもらえれません。それである日3人の同級生が家に遊びに来ていたので、「ちょっと臀部が変になっちゅうき見て」とパンツおn脱いでいで見せたところ。みんな驚いた様子で見入っていました。その時の友人達の表情に僕の心は凍り付いてしまいすぐに隠してしました。

それからしばらくのちに父に見てもらう機会があったのですが、いそがしい為か「どおしたがぜそりゃあ」と言いながらいそがしそうに外出してしまいました。僕としてはいつか勝手に治るだろうとおもっていました。修学旅行でも誰もいなくなってから一人で風呂に入るほどコンプレックスになっていました。高校になってから、周りの同級生たちは性に目覚める時期です。僕は恋はしても相手にうちあけることができませんでした。見られて驚かれるのが怖かったからです。高校を卒業して真っ先に病院に行きました。選んだのは。高知日赤病院でした。高知医大に行くと先輩や僕の同級生に合うのが嫌だったし、高校のころから看護師の友達が何人かいたため、彼女達のいない病院を選んだためでした。病院について診察室にはいると若いスポーツ刈りのさわやかな先生が担当のかたでした。事情を話し。臀部を見てもらいました。「本当だね、と言ってレントゲンをとり。続いてCTスキャンをとりました。CTの部屋は確か吹き抜けで上のほうの階で先生が2人で話しあっていました。その後結果を知らされました。1万人に一人の珍しい奇形であるとのことでした。背骨の間に溝がありそこから神経が出て歩けなくなる可能性もあるとおっしゃいました。治すことはできませんが、医師としては見た目が気になるというのであれば石膏を入れるかなにかすれば見た目はなおせますとおっしゃってくれました。なんだかうれしくなり、帰ろうとすると「もう一度見せてもえませんか?というのでみせました。「はじめてみた」といいながら、筆や手で触りながら、ここは神経を感じますか、とか言いながら20分ほど観察していました。先生の顔は興味津々でなにかを発見したように笑顔になっていました。少し腹が立ちましたが直してもらえるからまあいいやと自分を励ましながらうちに帰りました。

それから2.3週間後に、病院に行きました。前回担当のお医者さんはいませんがよろしいですか?とおっしゃったのですが構いませんと答えて診察室に入りました。そこにいた先生は50歳から60歳半ばの先生でした。椅子にふん反りかえっている陰険そうな(昔よくいたタイプ)の先生でした。早速僕は手術をお願いしました。すると「普通に歩けるのに君は何のために手術をするんだね。」と問われたので「とにかく直したいのです」と答えましたが。「あんたね。この手術は難しんだよ。入院だけでも半年かかる」といわれてしまう。何とか食い下がろうとしましたが、この先生には無理でした。せめて自分の目で患部くらいみてほしかったとおもいながら「わかりました」と答えて帰ろうとするとやっかいな病気の診察を断ることができたせいか「そのほうがいいとおもうよ」と一仕事終えたような顔をしていました。この時から人生が大きく狂い始めました。僕の友たちは彼女を作り楽しそうでしたが、僕は女性を誘っても最後には見せなければならない体の異常がある。もし見たらドン引きすることは自分で見てわかっていた。僕は毎晩酒をあおるようになった。脳が壊れてしまえば楽になるとおもっていたからです。外でみんなと飲んでいると記憶がなくなりみんなに迷惑をかけるようになった。その事実はますます自分を卑下するようになっていった。それから何度も死のうと思いロープで首をつってみたりしたが、なかなか死ねない。数か月から数年後に助けを求めるようにまた日赤に行った。まだ今なら社会に乗り遅れることも、頭がおかしくなることもなく間にあうとおもっていた。診察室に行くとまた同じ先生でした。何とか手術をしてくれと訴えたが断られた。僕は痛くもないのに痛いです。というと、「どこが痛いんだね。指で刺してごらんといわれ」適当にここですと指さすとそんなところが痛くなるわけがないだろう。「あんたね、の世の中には歩けない人だっていっぱいいるんだよ、何をいっているんだね」と怒鳴られた。あきらめて。帰ろうとすると、いっちょう上がりみたいな顔で座っている。そのころは酒を飲みに行くと人格が変わりますます周りに迷惑をかけるようになっていった。またどんどん鬱になっていった。22歳の時だった。もう限界だった。死ぬか環境を変えるかどっちかだと思い。アメリカに留学した。

最初のうちは環境の変化で随分と気が楽になったが、体のコンプレックスが消えることはなかった。

ある時、友達が腰痛になって、韓国人の整体の上手な先生がいるというので何回か一緒についていったことがある。ある日先生が僕も見てやろうといった。立っている僕の後ろから僕をみていたが、何やら不思議そうに「うううん?」と考えている声がする。

そしておもむろに僕のズボンとパンツを脱がし、僕の友達に「ほら見ろ」と僕の臀部を見せた。「もしお前が中学1.2年なら俺には直すことができた。忘れろ、もうておくれだ」といった。僕は奇形なのになんで整体なんかで治るわけないだろうとおもった。(今思えば彼が正しかった)その日僕の友達もびっくりしていた様子だった。それから随分と時がたったが、日本に帰って親に相談するしかないと思い、アメリカをあとにした。

その頃には男友達に会うのですら嫌になっていた。あたりまえの男女の交際すら経験のない自分には他人との会話が成り立たなくなっていたのもあるし、自分が奇形であることを誰にも知られたくなかった。もう二度と人間に生まれるのは嫌だ。森の中の大きな木に生まれ変わることができればどんなに幸せなことであろうと。趣味を持ちたくてバイクの免許をとってもスキューバーダイビングの資格を取っても遊び仲間を作らないといけない。僕は自分が奇形であることや異性とのつきあいがない事などコンプレックスだらけでだれと会うのも苦痛だったので資格をとるだけに終わった。ある日買い物に行くとお金を払うときに手が震えた。また大勢の前であいさつをしたり、カラオケを歌うと声が震えるようになってきた。社会恐怖症になってしまったようだ。30歳か32歳ころに精神が限界に追い込まれて愛宕病院の整形外科に行ったことがある。自分は17歳の時に奇形だといわれました。治るかどうか見てくださいと。その先生は僕の臀部を見て、「そこの骨をけずってもなあ。よけいおかしいだろうなあ。」といって看護師さんにこれおかしいか?などといいながら、あんたは精神病院に行った方がいいといわれた。僕は言い返した「一万人に一人の奇形だといわれました。」そしたら馬鹿に話すように「へえ~~」と言った。

整形外科ではだめだと思い美容整形に電話で相談したこともある。だが帰ってきた返事は大学病院にいってくださいだった。その後精神状態はますます疲弊し精神病院でベンソジアゼピン(気を楽にする薬)をもらうようになった。ある時ネットで日赤のホームページを見たら、日赤にいた馬鹿に態度のでかいあのじじいが院長になっていた。肩書を見て驚いた。彼は整形外科の専門医ではなかった。43歳の頃また精神が限界にきて、日赤に行った。17歳の時にこの病院で奇形と言われたのですが直してくださいと。そしたら臀部をみるなり、「はああ」と言いながら頭をかかえた。厄介な基地外だと思われたようだ。たしかレントゲンを一応とって尾骨は人のよって長さも違うし何タラ何タラ・・・・とどうでもいいことを話していた。自分の病院の過失を認めたくなかったのか,もしくは僕が嘘を言っているのか困った様子だった。ネットが進歩して自分である程度病気などがしらべられるようになった。ある時僕と同じ症例を見た。僕は子供のころ学校の木の椅子が痛くて腰をずらして座っていたので尾骨が曲がってしまった。それに加え中2くらいから体脂肪が極端に減って骨がみえていた。それが原因だった。誤診だったことに気が付いた時は48歳。あまりにも気が付くのが遅すぎた。30過ぎて病院へ2回行ったが。そのときは体脂肪が増えていた為、見た目が普通になっていたのだろう。僕は自分を奇形に生んだ母や父を憎んだこともあった。そのことを責めたこともあった。なんで中学校の時に病院に連れて行ってくれなかったのかと恨んだこともしばしばであった。。

ぜんぶまちがいだった。両親には本当に迷惑をかけた。謝罪しても謝罪しても許されることはない。高校時の僕は、自分の人生はたった1回しかない。自分の好きなように生きるというのが信条だったが、全く違う人生になってしまった。恋もしたかった。彼女も欲しいかった。結婚もしたかった。子供も欲しいかった。そしてそのような生活は自然におとずれるとおもっていた。17歳のあの日に日赤に行かなければとおもうと今でも激しい怒りが湧いてくる。凄まじい怒りだ。僕は最初に診てくれた若い先生のことは恨んでいない。人間だれしも間違いはあるからだ。僕が許せないのは2回目3回目に診察してもらったあの横柄な態度の先生の方だ。

せめて社会不安だけでも直したい。そのためには自分のことを隠さないようにすることだと思い始めたのでこの件を告白することにしました。

社会不安症が治ったところでもう何も希望などないのだが。とりあえずもう少し生きてみよう。日赤側にそんな事実はないなどと言われるのも嫌だし許せないからだ。