2010年 1月
最初はチビちゃんが高校卒業(現在高1)するまで生きてらないだろうなあ~
なんて言ってましたが、癌は進行するばかり・・
年越せるかな~??って、話てたら年こせました(笑)
現状維持を目標にしてる訳でして。
9回目の入院8回目の抗がん剤投与の予定が、白血球の数値が悪く
1週間ほど入院して、なにもせず退院(トホホ・・)
仕切りなおしです。
1月後半
10回目の入院
8回目の抗がん剤投与(シスプラチン + イリノテカン)
週1回投与を3回、3週間で3回の投与。
背骨にも癌があったから、白血球をつくる力が半減されちゃってるんだろうね。
久々に美容院へいって髪の毛をスパってきってきました。
ショートボブ?っての、美容師さんには、「滝川クリステル風にしてください」
って注文したんですが、顔がついていけず、苦笑されるだけでした!
入院する前に、友達4家族夫婦で温泉旅行に行く。
例のジジババどもだ。なにかと気を使ってくれる。
ありがたいことです。主人が入院中も、「お~いドライブいくぞ~」
「飯食いにいくぞ~」って気晴らしになるから?と誘ってくれます。
3月
11回目入院
9回目抗がん剤投与 (シスプラチン + イリノテカン)
前回とおなじ、3回に分けての投与・・
の予定でしたが、3回目のとき白血球が下がってしまい、2回で終了。
だんだん体力が落ちてきてるのだろうな。
糖尿病でも、家にいる時は何でも好きなものたべてるし、お酒(焼酎)も飲んでます。
全く普通。誰が見ても末期癌患者なんて思わんわ。
3月はチビちゃんの高校入試、娘のNSC面接。
大阪で住む所探さなければならんし、もうメチャメチャ忙しかった。
私と仲良しの爺さんがいたのですが、大変お世話になりっぱなしのまま、2年前
他界されました。
その未亡人が去年の3月突然現れ、「生前主人がお世話になりました」と挨拶に
きたのよ。びっくり!!
色々話してて、娘が大阪に行くこと等話してたら、「まだアパート決まって
なかったら、私ね大阪にマンション借りてあるから、そこから吉本通いなさい。地下鉄で
すぐだし、歩いても30分くらいよ。
留守番のオバちゃん住んでるけど、いいでしょ?」
主人のことで、アパート探す時間もなく、娘に任せるつもりでしたが・・
仕送り出来ないから、自分でバイトして家賃払ってく娘です。
もう願ってもないことです。右も左もわからん大都会で誰も知らないとこで
どうしようってな時に、身元引受人付きの居候、
着替えもってけばいいだけの引越しで済みました。しかも只!!
なれて一人暮らししたくなったら、ゆっくりアパート探せばいいし、とも言ってくれた。
未亡人とは以前1度お見かけしただけで、まともに話ししたのは今回が初めてでした。
初めてなのに、簡単に「うちのマンションに住めばいいわよ~」って言う未亡人も
そういないだろうし、「あらじゃ、遠慮なく」ってホイホイ受ける私みたいなのも珍しいかな。
私は、いきなり現れたとき「生前、うちの主人と何かあったんじゃないでしょうね~?」って 変なかんぐりで、怒鳴り込んできたのかと思いましたわ(笑)
生前はこの爺さんと清く正しく(笑)?遊んでたのに、今は未亡人にお世話になってます。