com-debateのブログ -33ページ目

com-debateのブログ

コミュニケーション・ディベート連絡用ブログ

今回は、久しぶりにモヤモヤとした感じが最後まで抜けませんでした。
事前準備が不十分だったことが大きいのですが、最後まで「わかった」が降りてきてくれませんでした。
それで、帰ってきてからずっと考えてみて、夜中に目覚めたときにようやく「わかった」が来ました。
だいぶ長くなりますが、書いておきます。

話を「オオカミ少年」の物語から考え始めます。
この物語はもともと「嘘をつく子供」というタイトルらしいですね。(Wikipediaより。)
ストーリーは皆さん、だいたい知っていると思うのでここには書きませんが、日本でよく知られているストーリーでは、ラストは「嘘をついた少年は狼に食べられてしまう。」ではないかと思います。
しかし、もともとのストーリーでは、ラストは「村のすべての羊が狼に食べられてしまう。」らしいです。
だとすると、教訓的にこの物語をとらえれば、その教訓は「嘘をつくと自分に災いが降りかかる」ではなく「嘘は取り返しのつかない迷惑を周囲にかけてしまう」だと思います。
ここで、「人を欺くつもりのない嘘は許される」という意見について考えてみたいと思います。
「オオカミ少年」のストーリーを、「実は少年は、村人たちに狼に対する備えの必要性を説くために、訓練を行わせるということを心の底から本気で考え、それで嘘をついていた。」というように書き換えたとします。
ならば、この話は、人を欺くつもりのない、村人のことを本気で考えた少年の物語として許されるものになるでしょうか?
どう考えても、結果が「村のすべての羊が狼に食べられた」以上、そうとらえるのは無理だと思います。
現在の、政治の世界がこのような状況でしょう。
政治家たちは一応(もしかしたら本気で)、「国民を欺くつもりではなく、国民のために」嘘をつき続けています。(もしかしたら嘘をついているという自覚もないかもしれません。)
結果は、国民の多くが「政治家は嘘つき」と考えて混乱した状況になっています。
これは「オオカミ少年」の村と同じ状況です。

長くなりましたが、私のたどり着いた結論です。(結論も長いですが。)

人を欺くつもりがない嘘でも、許されるものではない。
しかし、人は無自覚に周囲を欺くつもりのない嘘をついてしまうことがある。
その嘘が許されるのは、結果が周囲の迷惑にならなかったときのみである。
しかし、人は未来を完全に予測することはできないのだから、結果を完全に見通すことはできない。
であるから、人は、自分の嘘が許されるために、結果をできるだけ見通すだけの知恵をつけなければならない。

このような意味からも、これからも知恵をつけるために、私は学びたいと思います。