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これまで「放射線被曝は少なければ少ないほど良い」とされてきた。
法律にも記載されていたことでもあるのに、事故がおこったら「少しくらい被曝しても良い」に変わってしまったのはどういうことなのか。

事故前には年間1ミリシーベルトを厳格に守っていた政府が、その20倍以上の数値を問題ない、と言い切ってしまうのは何が原因なのか。
国民の健康ではなく、特定の人間の利益を第一に考えているからなのではないか?
一部の利益を損なうおそれがあるものを「風評被害」として切捨て、
未来を犠牲にし、その時になって「しょうがなかった」で済まそうとしているのではないか。


人の健康、特に未来を担う子供の健康に大きく関係することであるから
本当に問題がないのであればその具体的な理由を明確な形で示すことが重要だ。

意味を履き違えた「風評被害」にとらわれることなく「安全」についてのガイドラインが必要となってくる。

そう遠くない未来に、ベットに横たわる我が子を前に悔やんだとしても遅すぎる。

富山県内でもいわゆる「汚染地」とされている産地の食材を良く見かける。
「安全である」という建前で販売されているのだろうが、
安全であるのならば汚染度合いをベクレル単位で表示するべきである。

「基準値以内の汚染であるから公表しない」は建前であり
数値を示すと売れなくなるのが怖いのだ。

都内の外国人向けのスーパーマーケットでは全ての食材にベクレル単位での汚染数値が記載されている。

外国人さまには表示するが、自国民には内緒にしておこうというのか。

非常に恥ずべきことである。

この腐った体質を変える暇などない。
怪しいものは切り捨てるべきである。

子供を持つ親御さんはよく考えてほしい。

子供の寝顔を見るのは親にとっての至福のひと時であるはず。
ならば我が子にも同じ幸せを与えてあげたい。
良くしてもらっている近所のおばあさんがいる。
大正生まれでまっすぐな性格のおばあさんだ。
立ち話が終わって帰るときには「さようなら」ではなく「ありがとう」と声をかけてくれる。

先日、おばあさんのお宅にお邪魔する機会があった。
ご主人は20年以上前に亡くなられている。
おばあさんは仏壇に手を合わせながら「ありがとう」と何度も何度もつぶやいていた。

「ありがとう」の言葉がもつ本当の意味

最近、心からのありがとうを誰かに伝えられただろうか。
子供達を守るために

ICRP(国際放射線防護委員会)の見解によると胎児の年間医療被曝量は10msvが限度とのこと。
これに対し日本の産科学会の福島に対する声明が累積50msvでも安全とされている。
http://www.jsog.or.jp/news/pdf/announce_20110316.pdf

何を根拠として安全といえるのか?
今、何を守るべきなのか?

先日、このような記事を目にした。


・読売テレビ(本社・大阪市)系列で4日放送された番組で、中部大の武田邦彦教授が
 岩手県一関市の放射線数値を示したうえで「東北の野菜や牛肉を食べたら健康を壊す」
 などと発言したとして、勝部修市長は6日、武田教授に抗議のメールを送ったことを
 明らかにした。

 番組はミヤギテレビが4日午後1時半から放送した「たかじんのそこまで言って委員会」。
 武田教授は子供の質問に専門家が答えるコーナーの中で、放射線量の高い地域として
 一関市を挙げ「今、東北で農作物を生産するのは間違い」などと発言。他の出演者が
 疑問を呈したのに対し、「取り消すつもりはない」と語ったという。

 勝部市長は「農家の感情を逆なでする非常識な発言だ」と指摘。武田教授に発言を
 取り消すつもりはないかを確認したうえで、今後の対応を考えるとしている。

 番組を見た市民から市に連絡があり発覚した。発言は動画サイト「ユーチューブ」にも
 投稿されている。読売テレビは毎日新聞の取材に対し「武田先生に批判的な意見も
 入れて(放送して)いる。(番組)全体を見てもらえば、問題のある内容とは思わない」
 としている。



何を根拠に安全とするのか、何が安全で何が危険なのか
今、守るべきものは何なのか、優先順位は?
誰もはっきりとしたことを言わない。
言わないから危機が危機でなくなっていく。
農家の人もマスコミもはっきりと言うことができれば
そういう世論を作ることができれば政府も動かざるを得ない
事後の世界基準からみれば非常識なまでの基準値を鵜呑みにしてはいけない。
皆がはっきりとした発言ができれば政府は農家に対し補償するはず。

今を多少犠牲にしてでも、未来を守らなければならない。