辞世59 | コラム・インテリジェンス

コラム・インテリジェンス

透き通るような…心が…ほしい

多くの人が

不平不満を抱える社会は、

ダメな社会であるとも

考えられるようでもあるのかも知れません。

 

それならそれを作ってきた現行の

おカネ至上主義、虚栄虚飾虚勢等々

という思考自体も、

根本から考え直さなければならない状況で

あるようにも思われなくもないのです。

 

社会に限らず、

間違っているのかも知れないと思われたのなら、

そこは直ちにその根本の原因究明と

是正策を考えていくのが

アタリマエといえばアタリマエで

あるような気もしないでもないのかも知れません。

 

そこを子供に教えるべきオトナが、

いつまでも現行の思考方法に囚われているようでは、

いつまでたっても我々はより善い未来を

子供たちに残すなどという戯言は、

戯言で終わってしまうような

気もしないでもないのです。

 

「おまえは死すべき人間の分際で不死なることを求めている。」

(オウィディウス「変身物語」)

 

自然のなかで、生き延びようと

努力する姿は美しいけど、

そこに科学とか医学の力を用いて、

不自然に生き延びようとする姿は、

如何なものなのでしょう。

人間も他の動植物同様、

自然の一部であるはずなのですから、

自然なシチュエーションで生まれ、

自然にまかせて死んで行くのが

アタリマエ、中庸という

肝要であるのかも知れません。

 

「人間にとって何よりもよいこと。それは生まれもせずまばゆい陽の光も目にせぬこと。だが生まれた以上は、できるだけ早く冥府へと去り行くこと。」

(テオグニス「エレゲイア詩集」京都大学学術出版会)

 

僕はもうすでに生まれてしまったけれど、

69歳にして余命数か月の宣告を受け、

いち早く冥府へと旅立つ状況になりました。

この事実は僕にとって、どちらかといえば、

幸であり幸運であり、正直に、

ありがたいという気持ちにさせてくれています。

 

「人の行動はすべて、快楽か金儲けかあるいは名誉のためである。」

(イソクラテス「弁論集2」京都大学学術出版会)

 

権力者とか起業家、経済人に

多いタイプの情動であるのかも知れません。

しかしながら愛の究極が

快楽とか名誉に関わってしまうのなら、

それもありなのかとも考えられます。

それでも純粋なる慈愛、博愛の存在は

信じていたいような気も

しないでもないのです。

 

「ときめいている者は己を抑えられない。」

(エウリピデス「嘆願する女たち」)

 

こころがチャラい人、

こころが浮ついている状態の人は、

自分も周囲も制御できない、と

いうことなのかも知れません。

 

「天才は、世に隠れ棲む。」

(プラトゥス「捕虜」)