辞世51 | コラム・インテリジェンス

コラム・インテリジェンス

透き通るような…心が…ほしい

ときに心を癒す雨音、

それも度を過ぎれば、

災害へと導かれてしまう。

幸せもほどほど、

災害もほどほどで

止めてほしいようです。

 

我が国は地震と台風の

メッカと呼ばれても何ら不思議も

ないようにも思われるけど、

それでも原爆から地震、台風、津波、

これだけ揃えられると、いくら我々が、

我慢強い国民といわれようと、

何といわれようと何ともいわれなくても、

「いいかげんにしてほしい」

ような気もしないでもないのです。

 

「真剣にするべきことを戯れながら達成することが、最も賢明なのだ。」

(プルタルコス「モラリア」)

 

算数でも国語でも、

もちろん真剣にするべきではあるのでしょうけど、

そこは遊び心満載で、

教える方も教わる方も、楽しみながら、

学習することが、達成への秘訣で、

あるようにも考えられます。

 

「本当に哲学のうちに生涯を過ごした人というのは、死に臨んで心くじけず、また死んでからは、あの世で最大の善きものを得るという善い希望を抱いている。」

(プラトン「パイドン/饗宴」)

 

僕は中途半端に哲学のうちに過ごしたので、

死に臨んでは心くじけないけど、

死んでから、あの世では、

などということまでには考えも及ばず、

ただ、

「死んだらもう、眠いのに我慢して起きていなくてもいい」

「死んだら楽チン」くらいの

軽いノリでも死を待ち望んではいないけど、

ただ、たんに、自分の命が尽きるのを静かに、

観察しているだけであるようにも

思われなくもないのです。

 

「真正に哲学する人たちは死ぬことを練習しているのと同様である。」

(プラトン「パイドン・饗宴」

 

学生時代には自分で選んだ道とはいえ、

超不良少年の社会に身を投じ、

いつケンカで殺されるのかという可能性と

日々瞬間々々闘っていました。

社会に出てからも、好き放題、

やりたい放題わがまま三昧、超傲慢な

生き方を選択していたため、

いつ誰に恨みをかって、

刺殺されてもおかしくない状況で、

社会を生き抜いてまいりました。

僕は幼少時代から現在まで、

死を考えずにはいられない状況であったため、

文武両道とともに哲学も必要であったように

思われなくもないのです。

 

「おお、人々よ、君たちはどこへ運ばれてゆくのか?君たちは、なすべきことを、何もしていないことに気づきもしないのか?」

(プラトン「西洋古典名言名句集」京都大学学術出版会)