辞世42 | コラム・インテリジェンス

コラム・インテリジェンス

透き通るような…心が…ほしい

乱れているのは、

株価と天候、円と為替、風紀と倫理、

礼節と敬愛等々、きりがないけど、

乱れがないのがココの読者の知的精神、

ココの読者こそは、

いついかなる時にでも、

知性品性気貴き人々である

のかも知れないとも考えられるような

気もしないでもないのです。

 

「いわゆる正当性は、自然の道理、あるいは社会的規約に基づいている。自然の道理とは、それぞれの事柄の意義にかなって行われているということである。ここから生じるのが敬虔、誠実、節制であり、社会的規約は、法律、慣習、判例、規約から成り立っている。」

(クインティリアヌス「弁論家の教育」)

 

自然の道理と社会的規約とでは、

アタリマエに自然の道理のほうが、

優先されるべきであるかとも思われます。

ところが現代社会においては、

社会的規約のほうに重きがおかれているため、

自然の道理である尊敬、正義、礼節が

守られなくなってきているようです。

挙句の果てに、

自然の道理よりも、社会的規約よりも、

お金が優先される資本主義社会では、

アタリマエに近々崩壊する運命であるとも

考えられなくもないような

気もしないでもないのです。

 

「オトナというのは、決して誉め言葉ではない。本質の考え方を忘れた、したがって本質というものの存在を忘れた、その意味で、どうしょうもない人たちのことであるのだ。」

(「暮らしの哲学」池田晶子)

 

どうしょうもないオトナが

増え続けた結果、世の中から

敬意、優しさ、正義が失われ、

どうしょうもないジジィが

溢れ続けた結果、世の中から、

倫理、道徳、論理が、

消滅しつつあるのかも知れません。

 

「暴力と権力を行使するには多数の同調者を必要とするが、説得力を持つ者には誰も必要としない。たった一人ですべてを行使できると考えるだろうから。」

(クセノフォン「ソクラテス言行録」京都大学学術出版会)

 

僕はいつでも賢者たちに

説得されてしまっているのかも知れません。

 

「君は乗船した。航海に出た。港に着いた。さあ、下船せよ。」

(マルクス・アウレリウス「自省録」)

 

余命の迫った僕にはピッタリな

言葉であるのかとも思われました。

 

「露と落ち、露と散りぬる 我が身かな 浪速のことは、夢のまた夢」

(豊臣秀吉)

 

「摂理とは、あらゆるものを配剤する神の理性そのものであり、運命とは、変動する物事に固着している配剤である。それによって摂理はそれぞれのものを秩序に結び付ける。運命は、それぞれが場所とかたちと時間とに割り当てられた個々のものを働きへともたらす。かくて摂理は場所とかたちと時間をも俯瞰し一体化する。他方、時間的な物事に割り当てられれば、それを運命と呼ばなければならない。」

(ポエティウス「哲学のなぐさめ」)

 

運命を語るまえに

摂理を知らなければならない。

運命は所詮、

摂理の一部でしかないのかも知れません。

 

「世話をするということは、世話をされる側の何らかの善や利益をめざすものである。」

(プラトン「エウデュプロン」京都大学学術出版会)