あまりに人間的14 | コラム・インテリジェンス

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透き通るような…心が…ほしい

今さらに集団連続強盗・

迷惑行為・ルール違反・

マナー違反行為が

絶えないそうです。

 

そして今さらに、

性被害・強盗・

迷惑行為等々と

性善・性悪説の問題が、

取沙汰されているようですが、

 

そもそもに、人間は、

性善なのか性悪なのか、

 

世界中に張り巡らされた

法律と秩序という

システムを鑑みれば、

人間は、放って置けば

如何に性悪(しょうわる)

 

「誓いの言葉」を

述べさせなければ

安心・信用して

結婚もできない生き物で

あることは

 

明白であるようにも

思われなくもないのです。

 

「人は『事柄に対する喜び』という、しかし本当はそれは事柄を介しての自己に対する喜びである。」

(「人間的、あまりに人間的」ニーチェ)

 

人は、

「彼が好き」とか

平気で言うけど、

それは、一般大衆が、

みんなが、

その彼との交際に

違和を唱えないであろう

という無意識的観念に

基づいていて、

本当は、

「みんなが猛烈な違和を

唱えないでいてくれるような

彼と付き合っている自分が好き」

ということだけのことに

すぎないのかも知れません。

 

老齢の男と付き合う女性は、

周りの視線よりも、

自分自身が、

同情と愛情と介護と慈悲に

溢れた女でありたいという

潔くも正々堂々、

清廉潔白なるオトコマエ的

精神の持ち主であるとも

考えられるのです。

 

「自分のことをあまり語ろうとしないのはきわめて上品な偽善者である。」

(「人間的、あまりに人間的」ニーチェ)

 

無口な人は

無知だから、

語るべく

述べる事もなく、

 

自分のことを

語らないのは

自分を

明かしたくない

偽善者である

ということ

なのかも知れません。

 

「我々が広々とした自然のなかにあって、これほどに居心地の良さを感じるのは、自然が我々に関して何ら意見をもっていないからである。」

(「人間的、あまりに人間的」ニーチェ)