エティカ26 | コラム・インテリジェンス

コラム・インテリジェンス

透き通るような…心が…ほしい

「悲しみと苦痛は、多様な度合いと差別相があるものと、我々に知らしめる。」

(「エティカ」スピノザ)

 

悲しみと苦痛には、

種々多様なパターンと

種々多様な度数が

存在するということを

我々に嫌というほどに

思い知ら示めして

くれているようです。

 

「それゆえ悲しみと苦痛は、快感が過度にならないように抑えることができる。」

(「エティカ」スピノザ)

 

悲しみの数だけ、

我々は賢くなり、

苦痛の経験律により、

我々は

慎重になることが

できるのかも知れません。

 

「ゆえに過度の快感を悪とするのなら、悲しみと苦痛は絶対善である。」

(「エティカ」スピノザ)

 

生まれ育った環境が

過度に幸福であったのなら、

それは絶対悪であり、

生まれ育った環境が、

過度に悲しみと

苦痛に満ちていたのなら、

それは全体善であると

考えることも

可能であるような

気もしないでもないのです。

 

「愛と欲望は過度になることがある。

 愛は、外部の原因の観念をともなっている喜びである。」

(「エティカ」スピノザ)

 

愛とは、

精神的にも肉体的にも、

他者のもつ概念と

結びついて来る場合も

多いようです。

 

愛が他者との

接点でもある以上、

自分自身の力だけでは

制御不可能となる確率は、

高くなると考えられます。

 

「したがって外部の原因の観念をともなっている快感は、ある種の愛である。

 以上のことから、愛は、過度になることがある。」

(「エティカ」スピノザ)