それが友情でも愛情でも、
単なるビジネス・パートナーであっても、
何かの行き違い、
または何かが原因となって
「別れ」なくてはならなくなった時に、
彼または彼女との全時間まで
否定してしまうような心情にはなれない。
それはあまりにも原始的・幼稚的・
子供っぽいとも思われなくもないのです。
たった一つや二つの要因が
引き金となって起きた「別れ」という現象の
全体が否定されることはあってはならない。
それでは学ぶべきことが
あまりに少なくなってしまう。
それでは学ぶことが
あまりに偏ってしまうようにも考えられるのです。
「人生全体の直感的な評価は、簡単な冷水実験と同様ピーク・エンドに左右され、持続時間は無視される。」
(「ファスト&スロー」ダニエル・カーネマン)
俗に
「冷や水を浴びせられたような」
という表現もあるように、
どんなに暖かで心地よい
快感を味わっていたとしても、
突然冷水を浴びせられれば、
それまでの時間が如何に長期にわたって、
如何に長い間暖かく心地よい
時間を体験していたとしても、
ピーク・エンドが悪ければ、
愚かな人間は持続時間を
無視してしまうようです。
ピーク・エンドに
左右されるような人間にはなりたくないと考えられます。
「愚衆が犯す衆愚な評論として
『彼は躍起になって、高潔な人生という物語を維持しようとしていた。しかしながら、つい先日の不祥事で台無しになりそうだ』というスクープがありそうだ。」
(「ファスト&スロー」ダニエル・カーネマン)
まさしく、ひとつのことで全体を、
ひとつのことでその人全部を、
理解したような、見抜いたかのような、
愚かな判断が愚かな人たちによって
なされてしまう場合もあるようです。
「彼(彼女)はアルツハイマーの症状を呈していて、もう人生の物語を覚えていない。それでも彼(彼女)の経験する自己は、やさしさや美しさに敏感に反応する」
(「ファスト&スロー」ダニエル・カーネマン)
学術論文的文庫本には珍しく、
この表現自体が、
とてつもなく美しい文章であると思われます。
カーネマンがここで語っている人物は、
どうやらニーチェの永劫回帰を会得した
“超人”であるのかも知れませんね。
永劫回帰思想───
ニーチェ「ツァラトゥストラ」───
超人思想───
「ツァラトゥストラ12」