エピキュリアン14 | コラム・インテリジェンス

コラム・インテリジェンス

透き通るような…心が…ほしい

 だれも死んでいない。

 

 コロナ以来、これほどこの言葉が嬉しく、

 ありがたく感じられるとは思ってもいませんでした。

 

 昨日のコロナによる死者はゼロ、有難い、めでたい、なんとも奇幸せに思われるのです。

 

「人はだれも、たった今、生まれたばかりであるかのように、この世を去って逝く。」

 (「西洋古典叢書断片集/エピクロス」京都大学学術出版会)

 

 個人的に、僕は成長していない。

 所詮、僕の自然本性が命じるままに、

 己を発育させていただけにすぎないとも思われます。

 人はだれも、成長・向上しているつもりになっているだけで、その本質的本性は何も変わっていないのかも知れません。

 

「他者からの賞賛は、自ら招き入れようとするものではない。

 他者からの賞賛は、他者自ら来るべきものであって、我々としては、我々自身の癒されることにこそ専心すべきである。」

 (「西洋古典叢書断片集/エピクロス」京都大学学術出版会)

 

 己の好きな道、己の欲するままを純朴に極めることで、

 他者からの賞賛は、その後からついてくる。

 自分勝手、好き放題は如何なものかとも思われますが、他者の、周囲の目とか賞賛ばかりを気にしているような人は、結果として、賞賛は得られない確率も高いようにも思われなくもないのです。

 

「十分にあってもわずかしかないと思う人にとっては、なにものも十分ではない。」

  (「西洋古典叢書断片集/エピクロス」京都大学学術出版会)

 

 目の前の現実に不平不満・

不安を抱いてしまうような人間であれば、

なにを与えられても十分ではなく、満足を味わうこともできない。

 

 目の前の現実に満足を、

 目の前の現実を謙虚に、素直に、

 感謝の気持ちを持って受け止めることができる人間を目指せば、どのような状況においても納得・満足を覚えることができるようになれるのかとも思われます。

 

「霊魂のあの感謝することを知らない食欲が、人間をして、食べ物における多彩な変化を限りなく選り求めさせるのである。」

 (「西洋古典叢書断片集/エピクロス」京都大学学術出版会)

 

 霊魂に感謝することを持たない食欲とは、

 何事にも感謝の気持ちを忘れてしまった現代人の貧欲さ。

 

 食べられるだけで有難い、とか、

 何かを食べる金銭があるだけで幸せである、とかの、

 感謝の気持ちを一切忘れてしまった現代人は、

愚かにも日本人のくせに、イタリアンだとかフレンチだとか、

挙句の果てにはコンビニスイーツにまで

「多彩な変化を限りなく選り求めさせる」ようです。

 

 エピクロスの言葉を知り、

 己を情けなく思える人は幸いです。

 

 その人にはまだ救いが充分残されていると

 思われるからなのです。