だれも死んでいない。
コロナ以来、これほどこの言葉が嬉しく、
ありがたく感じられるとは思ってもいませんでした。
昨日のコロナによる死者はゼロ、有難い、めでたい、なんとも奇幸せに思われるのです。
「人はだれも、たった今、生まれたばかりであるかのように、この世を去って逝く。」
(「西洋古典叢書断片集/エピクロス」京都大学学術出版会)
個人的に、僕は成長していない。
所詮、僕の自然本性が命じるままに、
己を発育させていただけにすぎないとも思われます。
人はだれも、成長・向上しているつもりになっているだけで、その本質的本性は何も変わっていないのかも知れません。
「他者からの賞賛は、自ら招き入れようとするものではない。
他者からの賞賛は、他者自ら来るべきものであって、我々としては、我々自身の癒されることにこそ専心すべきである。」
己の好きな道、己の欲するままを純朴に極めることで、
他者からの賞賛は、その後からついてくる。
自分勝手、好き放題は如何なものかとも思われますが、他者の、周囲の目とか賞賛ばかりを気にしているような人は、結果として、賞賛は得られない確率も高いようにも思われなくもないのです。
「十分にあってもわずかしかないと思う人にとっては、なにものも十分ではない。」
(「西洋古典叢書断片集/エピクロス」京都大学学術出版会)
目の前の現実に不平不満・
不安を抱いてしまうような人間であれば、
なにを与えられても十分ではなく、満足を味わうこともできない。
目の前の現実に満足を、
目の前の現実を謙虚に、素直に、
感謝の気持ちを持って受け止めることができる人間を目指せば、どのような状況においても納得・満足を覚えることができるようになれるのかとも思われます。
「霊魂のあの感謝することを知らない食欲が、人間をして、食べ物における多彩な変化を限りなく選り求めさせるのである。」
(「西洋古典叢書断片集/エピクロス」京都大学学術出版会)
霊魂に感謝することを持たない食欲とは、
何事にも感謝の気持ちを忘れてしまった現代人の貧欲さ。
食べられるだけで有難い、とか、
何かを食べる金銭があるだけで幸せである、とかの、
感謝の気持ちを一切忘れてしまった現代人は、
愚かにも日本人のくせに、イタリアンだとかフレンチだとか、
挙句の果てにはコンビニスイーツにまで
「多彩な変化を限りなく選り求めさせる」ようです。
エピクロスの言葉を知り、
己を情けなく思える人は幸いです。
その人にはまだ救いが充分残されていると
思われるからなのです。