「戒めを愛する人は知識を愛する、懲らしめを憎む者は愚かである。」
(「箴言/第12章1節」ソロモン)
アタリマエに戒(いまし)めと懲らしめは大いに違う。
自分が何も知らぬということを知る者は、
戒めも知識も大いに歓迎し知恵を得る。
自分が何も知らぬということをも知らぬ愚か者は、
戒めも聞かず懲らしめられても反省もせぬ真の愚者となる。
「善人は主の恵みをうけ、悪い計りごとを設ける人は主に罰せられる。」
(「箴言/第12章2節」ソロモン)
学ぶは善、善は主の幸なる恵みと祝福を受け、
学ばぬは悪、学を嫌い学を避け学を軽んじる愚者は、
稚拙で愚かな計りごとを企て罰せられる。
「人は悪をもって堅く立つことはできない、正しい人の根は動くことはない。」
(「箴言/第12章3節」ソロモン)
政党、企業は盛者必衰、繁栄しても倒れ、開業廃業も繰り返す。
が、
いつの世も賢人智人は存在し、その性根は誰かに受け継がれ、
真実真理、論理摂理の根は揺らぎ動くこともない。
「賢い妻はその夫の冠である、恥をこうむらせる妻は夫の骨に生じた腐れのようなものである。」
(「箴言/第12章4節」ソロモン)
賢い彼女を得られることは男の勲章である。
男を不快にさせ男に恥をかかせる彼女を得るのは、
その男自身の心魂の腐敗の表象である。
「正しい人の考えは公正である、悪しき者の計ることは偽りである。」
(「箴言/第12章5節」ソロモン)
「悪しき者の言葉は、人の血を流そうとうかがう、正しい人の口は人を救う。」
(「箴言/第12章6節」ソロモン)
(「箴言/第12章7節」ソロモン)
現代では、これらの言葉は「だといいね」くらいの価値しか
なくなってしまっているようにも思われます。
公僕であるはずの政治家官僚公的職員等々が、
公僕という名を汚し、公的な下僕(しもべ)であるべきが、
その雇用主である納税者よりも安定した、
ともすれば納税している貧困者よりも良い生活を
平気で営んでしまっている。
正なる納税者は家も立てられず、悪しき公僕たちは倒されず、
家も立て、挙句の果てに海外旅行だグルメだと平気で宣う。
「悪しき者は倒されて、うせ去る、正しい人の家は堅く立つ」
世の中になってほしいものではあります。
「醜悪な国家とは、
責任は取りたくない。自分だけ良ければ良い。
が、権力だけは絶対欲しいと考えた醜悪な人間が権力を持ってしまった結果の象徴である。」
(「狂気の歴史」ミシェル・フーコー)
「ソロー 36」
https://ameblo.jp/column-antithesis/entry-12516823696.html
「人はその悟りにしたがって、ほめられ、心のねじけた者は、卑しめられる。」
(「箴言/第12章8節」ソロモン)