ソロー 30 | コラム・インテリジェンス

コラム・インテリジェンス

透き通るような…心が…ほしい

「なるほど、精神は一定の期間、人間の体のすべての器官と機能にあまねく浸透して、それらを制御し、最も低位の感覚を最も高位の純粋な献身に変えることができます。」
(「ウォールデン 森の生活」ヘンリー・D・ソロー)
 
僕も不埒で不純でスケベな男ではありますが、ソローに触れている期間は、比較的穏やかで、純粋で、献身的な気持ちを保つことができているようです。
 
「生殖の本能も、もし私たちが不摂生であれば、自堕落になり、不潔にもするでしょう。」
(「ウォールデン 森の生活」ヘンリー・D・ソロー)
 
生殖本能も、不摂生ではなく、ときに朝と夜、ときに休み、そしてまた朝とか夜に行うのが宜しいようにも思われなくもないのです。
 
自堕落な生活は、生殖本能も制御しづらくなり、時と場合もわきまえず、たいした快楽も伴わない無意味で空虚な行為となってしまうのかも知れません。
 
あらためて、心と身体は密接な関係にあるのかも知れませんネ。
不摂生な生活をしていると自堕落になってしまうらしい。
自堕落になってしまえば不潔を不快と感じる能力も衰えてしまうのかも知れませんネ。
 
「一方で、もし私たちが制御できれば、活力のもとになり、霊感を与えてくれます。」
(「ウォールデン 森の生活」ヘンリー・D・ソロー)
 
性行為は、我々が制御すれば、活力のもとになり、ときに霊的世界へと導いてくれるような気もしないでもないのです。
 
霊感という感覚が信じられなかったし、
信じようとしなかったのは、僕自身に問題があった。
 
僕も不摂生をやめ、自堕落をやめ、
刹那的思考を止めることができるのなら、
僕でも活力が蘇り、霊感なるものをも理解し、
感じることができるのかも知れません。
 
「清純は人を花開かせます。そして天才や英雄は、花が生むさまざまな果実のほんの一部でしょう。」
(「ウォールデン 森の生活」ヘンリー・D・ソロー)
 
不摂生を改め、自堕落を止めることができるのなら、
天才や英雄になることよりももっと大きくて大切な果実を
手に入れることも可能となってくるのかも知れませんネ。
 
「純粋の回路が開かれさえすれば、人はたちまち神へと近づくこともできるでしょう。純粋が私たちに霊感を与える一方で、不純は私たちを堕落の世界へと落とすでしょう。日ごとに自分の中の動物を抑え込み、非凡さを打ち立てていく人は、神に祝福された人といえるでしょう。」
(「ウォールデン 森の生活」ヘンリー・D・ソロー)
 
その日、その時、その瞬間瞬間を、動物的不摂生あるいは動物的自堕落と闘い、それを抑え込むことで、我々は至福を得ることができるのかも知れません。
それこそが、「純粋の回路」を構築するということであるような気もしないでもないのです。
 
「けれども、実際には人は、決まって動物の本性を従属するあり方として内に抱えており、恥辱の心当たりが何もない人はいないはずです。私は、よくてファウヌスやサチュロスのような半神半人であるのが人間である、と考えます。人は、動物と通じた神の欲望の創造物であり、私たちの暮らしは、常に矛盾の中にあります。」
(「ウォールデン 森の生活」ヘンリー・D・ソロー)
 
半神半人といえば、ギリシャ神話においてはヘラクレス。
ヘラクレスもアタリマエに、神と人間とのハーフである。
 
「神々の困惑」
 
そして我が国においてはヤマトタケル。
アタリマエに古事記も神話であり、神話である以上、
ヤマトタケルも女神と人間のハーフである。
 
「その経緯(いきさつ)が知りたい。」
 
そして我々の暮らしのなかの矛盾を解くカギが、
中庸 ≒ バランス ≒ 塩梅 ≒ 適度、適当
ということなのかも知れません。
 
「中庸」
 
「幸福中庸不幸」