ソロー 28 | コラム・インテリジェンス

コラム・インテリジェンス

透き通るような…心が…ほしい

「私は、ほとんどの時間をひとりで過ごすことが、元気な良き生き方であることを発見しました。
 他の人と一緒にいると、たとえ最高にいい人であっても、まもなくうんざりして、消耗します。
 私はひとりでいるのが好きです。
 私は独り居ほど素晴らしい友に出会ったためしがありません。
 人は誰もが、ひとりで自分の部屋にいる時より、外で他の人の間に交じっている時に、淋しさを意識することが多いのではないでしょうか。」
(「ウォールデン 森の生活」ヘンリー・D・ソロー)
 
友人のいない人が孤独を恐れ、、
良き友人知人に恵まれている人ほど、
孤独を愛し、至高、孤高を目指しているのかも知れません。
 
群衆の中の孤独。
 
真の友なき人が、それを感じ、
真の友なきゆえの孤独に耐えきれず、
群衆の中に居ることを好み、それゆえにさらなる孤独を
感じ取ってしまうような気もしないでもないのです。
 
問題なのは、
自分自身に真の友人がいないことにも気付かずに、
それゆえに群れることを好み、自らがさらなる
孤独のスパイラルを作り出してしまっていることにも、
気づけずにいる、あるいは、あえて、
気づこうともしないということであるのかも知れません。
 
「ハーバード大学の騒がしい寮の一室で勉強にいそしむ学生は、砂漠の聖者、ダルウィーシュと同じくひとりです。
 農民は昼の間ずっとひとりで、畑を耕したり、森で木を切って過ごし、少しも寂しいとは思いません。
 なぜなら、一心に仕事に取り組んでいたからです。」
(「ウォールデン 森の生活」ヘンリー・D・ソロー
 
一心に読み、一心に日常の作務をこなしていく。
むやみやたらと友を求め、己磨きを怠れば、
待ち構えているのは群衆の中の孤独であるばかりか、
真の孤独である、
自分自身をも見失ってしまうのかも知れません。
 
一心に読むことを怠り、
一心に日常の作務に打ち込むことを怠れば、
我々は、農民どころか、田畑を守るカカシとなんら、
変らぬ存在となってしまうようにも思われなくもないのです。
 
「あなたがたから仮面と外套と塗料と身ぶりを剥ぎ取ったら、
 あとに残るのはまさしく、あの畑に立って鳥をおどかしている者の姿だろう。」
(ニーチェ「アンチクリスト──あるいは反キリスト者」)
 
「不安の実体」
 
結果、我々の社会と社交は現在、
どのような状態になっているのでしょうか。
 
「私たちの社会と社交は、つまらないものになっています。
 私たちは、人に会う時間が長すぎ、多すぎて、会う人に伝える新しい価値を身につける暇がありません。
(「ウォールデン 森の生活」ヘンリー・D・ソロー)
 
我々はお互いに、つまらない人間に
成り下がってしまっているのかも知れません。
つまらない人間同士に信頼が生まれるはずもなく、
つまらない人間同士に大切なことが話し合えるはずもない。
 
つまらない人間同士では、心の触れ合いも望むべくもなく、
つまらない人間同士に、尊敬も敬愛も生れようもない
ような気もしないでもないのです。
 
本当は、つまらない人間同士が、お互いに、
なんとか、その存在を認めてもらおうと
右往左往、悪戦苦闘する人間関係では、
真の人間関係を構築することは難儀であり、
自らも気付かぬままに、
本当は、よそよそしい人間関係を
友人知人関係であると誤認してしまう社会と
なってしまうのかも知れません。
 
「このような人間が増殖すれば、
人と人とがよそよそしくなる社会が出現する。」
(「現象学の根本問題」ハイデッガー)
 
「よそよそしさの起源」
 
ハイデッガーといえば、
教え子である女性思想家、哲学者ハンナ・アーレントとの
蜜なる関係を思い出します。
 
彼らの関係性こそ、知と性の融合。
究極の人間関係でもあったような
気もしないでもないのです。
 
「考えることで、人間は強くなる」
(「人間の条件」ハンナ・アーレント)
 
「ハンナ」
 
読むこと、考えること。
読書と思考は、人を強くするだけでもなく、
人に幸ある人生をもたらしてくれるのかも知れません。
 
「私の考えでは、私たちは社交のためにお互いに尊敬できなくなっています。社交を少なくすれば、大切なことを伝え合う、心を込めたコミュニケーションができるでしょう。」
(「ウォールデン 森の生活」ヘンリー・D・ソロー)