ソロー 26 | コラム・インテリジェンス

コラム・インテリジェンス

透き通るような…心が…ほしい

「こうして私の夜の闇の核心は、決して人間の隣人に汚されずにすみます。」
(「ウォールデン 森の生活」ヘンリー・D・ソロー)
 
ここでもソローは、孤独の楽しみ、孤独の核心、
孤高の歓び、孤高の麗々しさを詩っているようです。
 
「ニューイングランドでは、魔女をことごとく絞首刑にして、キリスト教と明るいロウソクをこれほど広めたのに、多くの人々は、今なお闇という自然を恐れることしか知らない、と私は確信を持って言えます。」
(「ウォールデン 森の生活」ヘンリー・D・ソロー)
 
人は真実、事実、真理を恐れる。
夜も闇も、今そこにある真実、事実ではある。
 
が、それが真理なのかどうかはわからぬけど、
すくなくても人類が夜の闇と真実を誤魔化して、
生きてきたということは云えるのかも知れませんネ。
 
人は、夜と闇と真実、そして、自分が何者でもない状態、
自分が何者でもないという真理をも恐れる。
 
自分が何者でもない状態、
自分が何者でもないという真理は「ネモ」。
 
「本当の恐怖はネモ自体にあるのではなく、
ネモを恐れる私たちの恐怖の中にある」
(「アリストス」ファウルズ)
 
「アリストス2『ネモ』」
 
「ところが、私が実際に重ねてきた経験によれば、私たち人間にやさしく、思いやりがあって、最高の癒しになる、邪気のない社会(仲間)といえば、決まって自然の中に見つかる仲間です。」
(「ウォールデン 森の生活」ヘンリー・D・ソロー)
 
自然とはアタリマエの状態。
今、そこにアタリマエに存在している物事。
 
我々も普段、自分の部屋で、
アタリマエに存在している寝具、家具等々に、
無意識のうちに癒されているのかも知れません。
 
「ひどく人間嫌いで、いつもふさぎ込んでいる人でも、自然の中なら仲間が見つかります。自然の中で暮らし、感覚を十分に楽しんでいれば、人は極度のふさぎ込みにならずにすみます。」
(「ウォールデン 森の生活」ヘンリー・D・ソロー)
 
どのような人でも、本当の自然のなか、あるいは、
自然 ≒ アタリマエ ≒ 自分の部屋にいるときには、
くつろいでいるようにも思われなくもないのです。
 
が、それも感覚と感性を研ぎ澄まし、
勇気と自信で孤独を楽しんでいれば、
という条件が付けられているようです。
 
「純粋に、勇気を持って生きる人は、どう暮らそうと、いやみな悲哀で身を持ち崩しはしません。私は四季を友として、楽しむ限り、日々の暮らしが重荷になることはないと信じます。」
(「ウォールデン 森の生活」ヘンリー・D・ソロー)
 
なにをもって「身を持ち崩す」ということなのか、
よくわからぬ部分もないではないけれど、
 
私事(しじ)、いやみな悲哀かどうかもわからぬ悲哀で、
身を持ち崩しているのかも知れません。
 
僕にはまだまだ、四季の楽しみ方も
理解できていないのかも知れません。