ソロー 23 | コラム・インテリジェンス

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透き通るような…心が…ほしい

便利さを求め、文明が進化すれば、その代償として、
人の心は蝕まれていく。
文明の進化と、人の心の破壊は、比例し続ける。
 
のかも知れません。
 
ソローはすでに、蒸気機関車の出現時に、
それに気付いていたようです。
 
「この鉄の馬は、雷鳴のような鼻息をあらゆる丘にこだまさせ、四肢で地面を揺るがせ、鼻孔から火と煙を吐き出すのですから、人を超える生き物の誕生、と言わざるを得ません。」
(「ウォールデン 森の生活」ヘンリー・D・ソロー)
 
蒸気機関車 ≒ 鉄の馬の騒音は、ソローにとって、化け物の出現であると予見していたのかも知れません。
 
「家畜運搬車に乗り込んだ牛追いの立場は、今や牛と変わりません。」
(「ウォールデン 森の生活」ヘンリー・D・ソロー)
 
人間が自ら生み出した、利便性追求の文明は、
いつのまにか人間を、自ら家畜同様の存在へと
追いやっていくような気もしないでないのです。
 
ソローの時代、ソロー自身も、蒸気機関車の騒音に精神をかき乱されると予見していたように、
現代社会で生きる我々は、多くの車両騒音、その他の騒音に精神をかき乱されてしまうのがアタリマエ、むしろ自然、いや、むしろそれが正常であるのかも知れません。
 
現代社会においては、精神に異常をきたしてしまう人のほうが正常で、現代社会において正常だとされている人々のほうが、むしろ異常であるのかも知れないとも思われなくもないのです。
 
我々は自分で気付かぬうちに、人としての正常なる情動、人としての心を失いつつあるのかも知れないような気もしないでもないのです。
 

「夕方には森の向こうから、雌牛のモーモーという甘く美しい鳴き声が聞こえてきました。初め私は、それらの声を、私もいつか歌ってもらったミンストレル(吟遊詩人)の歌声かと思いました。」
(「ウォールデン 森の生活」ヘンリー・D・ソロー)

 
自然がベスト。
自然界の生き物も、自然という名の山と川、森と湖、
海と空と大地、人はすべての自然を
受け入れるように創られているようです。
 
自然がベスト。
日常生活も、論理も、常識もマナーもエチケットも、
すべて自然がベスト。
アッタリマエがアッタリマエに、
人を快適にしてくれるのかも知れませんネ。
 
「ヨタカは夜中、時間をおいて鳴きましたが、夜明けのほんの少し前から夜明けにかけて、ふたたびいっせいに、見事に美しい合唱に入りました。」
(「ウォールデン 森の生活」ヘンリー・D・ソロー)
 
自然界に存在する音は、我々に心地よさと安寧、
そこに癒しをももたらしてくれるようです。
 
が、自然界に存在しえない、車両騒音等々、その他の騒音は、
我々の心を蝕んでいくようです。
 
それに順応してしまいそうな我々は、もうすでに、
己も気付かぬうちに、心が蝕まれている。
 
その騒音の発信者たちにいたっては、もうすでに、
人でさえなくなってしまっているのかも知れません。
 
「私は自然の足跡をいたるところに探し求める。
我々が、人為という足跡で、
これを踏み荒らして、わからなくしてしまったのだ。」
(「エセー」モンテーニュ)
 
「モンテーニュ『自然と真理』」