悲しいオジさん | コラム・インテリジェンス

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透き通るような…心が…ほしい

 
幸か不幸か、面と向かって
「オジさん」と呼ばれたことはないような気もする。
 
自分で自分を、「オジさん」と呼ぶのは、嬉しくも悲しくもない。
 
それでも、
誰かが誰かを「オジさん」「オヤジ」
挙句の果てには「オッサン」などと呼んでいるのを見聞きすると、
悲しくなってしまう。
 
勝手なもので、自分が若いころは、
普通に、悪意も他意も、ましてや憎しみも哀しみもなく、
「オジさん」という言葉を使っていたらしい。
 
それなのに、ホントに勝手なもので、
自分が本当に、正真正銘、由緒正しいくらいの「オジさん」になってしまうと、
 
「オジさん」という言葉に、過激に反応してしまう。
 
たしかに、オジさんから見ても、
どうしようもないオジさんは多いような気もする。
 
どうしようもないオジさんどころか、
「オヤジ」「オッサン」などと呼ばれても、
けっしてやぶさかでも、あかさかでも、どんなさかでもかまわないようなヒトが、
目につきやすいのかもしれない。
 
そもそもに、こんな御託を並べていること自体が、
「オッサン」「オヤジ」を表象しているようなものでもあるけれど、
 
それでもオジさんは、
幸か不幸か、自分が呼ばれたこともないくせに、こ生意気にも
 
「オジさん」「オヤジ」「オッサン」に、
かなり過激に、しかも堂々と、挙句の果てには超生意気にも、
悲しみを感じてしまうこともあるようなのでした。