またまた判り辛いタイトルで失礼します。

 ビルトシュニッツアー、ドイツ語で「作る人」だったかな、もう随分前の事で記憶が確かではありません。

 この前、探し物をしていたら懐かしい物が出てきたので、それに絡めて記事を1本となったわけです。


https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-24-c6/happytrigger45auto/folder/1602113/97/56134797/img_0
 写真のバイク、タミヤの1/35ドイツ軍BMW R75です、このバイク、タミヤのカタログに載った事があるんですよ、単品ではなくジオラマの中の1パーツでしたけどね。


https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-24-c6/happytrigger45auto/folder/1602113/97/56134797/img_1
 時はガンプラブームより前、盛りは過ぎたけどまだAFVが元気だった頃のお話しです、当時行きつけの模型屋さんに集るお客と、アルバイトの店員で、模型のクラブを作ろうという事になりました、集る場所はメンバーの中に不動産屋の息子がいて、そこの事務所に月に一度集り、作品を持ち寄り、模型談義に花を咲かせていました、そのうち、会報も作ろうと言う事になり、コピー誌ですが、自分達で記事を書き何部か作りました、因みにこのブログに時々登場する「死に損ないの友達」はその時のアルバイトの店員でした、思えば随分長い付き合いです。

 そう、そのクラブの名前が「ビルトシュニッツアー」だったんです、あっ、過去形にしてしまいましたが、無くなったわけではありません、まだしぶとく生き延びています、とは言えクラブとしての活動はしていませんけどね、でも私を含めて3人のメンバーがまだ生き残っています。

 話を戻して、不動産屋の息子は他にも付き合いが在り、当時のAFVモデラーの憧れのクラブ、カンプグルッペジーペン(通称カンプ)と何故かお付き合いがあり、カンプが毎年タミヤカタログにジオラマを何点か載せていて、どう言う経緯か忘れましたが、私たちのクラブのジオラマを載せてもらえる事になりました。

 在り物のジオラマではなくカタログの為に作り起こしたジオラマです、その年のタミヤカタログが取ってあったはずなんですが見当たりません、シュチエーションは4号駆逐戦車がスタックしてオペルトラックが脇に止り、負傷した戦車兵が切り株に座っているというものだったと思います。

 みんなで構想を考え、手分けして作りました、写真のバイクはトラックの荷台にドラム缶と一緒に乗せてあった物です、ジオラマはもうありませんが、バイクだけは手元に残してありました。

 AFVブームも下火になり、クラブのメンバーも減った頃にガンプラの登場です、以前このブログでも紹介した、私がフルスクラッチしたザクがホビー誌に載り、模型雑誌の仕事や、メーカーの情報誌の仕事が来るようになり、クラブのメンバーを募りまた人数が増えました。

 この時の失敗談です、雑誌でメンバーを募集した所、私の不注意で近隣以外の地方の人もメンバーになりたいと、連絡を貰ってしまいました、募集条件で会合に来れる範囲の人と入れなければいけなかったんですね、地方の人には謝りのハガキを書いて送りました。

 その後、メンバーと共に雑誌や情報誌の仕事を受ける事も在りました、一度は大きなガンプラのジオラマをホビーショーの為に作り、静岡まで運んだ事もありました、その時お世話になったメーカーの人はその後関連会社の社長にまでなり「今ではお金と人の管理で面白くない」と言っていましたが、数年前に惜しくも亡くなってしまいました、まだそんな歳ではなかったんですけどね。

 ガンプラブームも去り、自然消滅的にメンバーも減っていきましたが、ブームの時に入ったメンバー二人が未だに生き残っています、創設時のメンバーは私だけです。

 ワンフェスや忘年会で年数回会うだけですが、この二人も「死に損ないの友達」程ではないにしろ長い付き合いです。

 1人はプロの造型屋さんで「模型の疲れは模型で癒す」という猛者です、もう1人はまともなサラリーマンですが、他の模型クラブに属して模型製作をしているそうです、そう考えると私が一番模型を作ってないなぁ、まぁ、先のミレニアム・ファルコンの完成で少しは面目が保てるかな?W

 と、まぁ、自分の備忘録的な長文に最後までお付き合い頂き、ありがとうございました。