もし『イベサー創設者』が起業したら 23歳 鳴澤大地の奮闘記

もし『イベサー創設者』が起業したら 23歳 鳴澤大地の奮闘記

ある大学生が、自分の夢を叶えるため起業という道
を選択しました。

果たして彼は自分の夢を叶えることができるのか・・・??


ここではその夢を達成する。

その時まで活動記をつづります。

            僕が起業家として受けたインタビューです。
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何年ぶりのblogだろう。

やはり文字に落とす作業が必要であろう。なんてことを考えて

改めて、書いてみることにする。


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半年前にあった、『もやっとしたぬるい感覚』を脱することが出来て、

本格的に次のフェーズに進む覚悟を整えて、事業を整え始めている。
残り半年で整えきる中で、今の自分が何を考えてやってきているのかをまとめてみることにした。

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『何のためにやっているのかよくわからないのに、とにかく時間を費やしているのは努力するふりをしているだけです。正しく努力するコツは、「何のために」という目的を常に意識することだと思います。』 丹羽宇一郎



長野の立ち上げ/通信の初期の立ち上げ(今の自分から見ると全然だが、、)をある程度終らせた時にもやっとした感覚に陥ったことを覚えている。


■1.進化の為に『終わり』と『痛み』を受け入れる。


振り返ると、もやっとした感覚を払拭したきっかけは2つあった。

1.2017年1月からの動きの為に、終わりを意識して現状の全ての行動に完全に期限を切ったこと

2.痛みを追う経験


<終わりから捉える死生観>

期限を切る事の本質は死生観に近いのではないかと捉えると
妙に腹落ちをした。

死生観・・『死を通した生の見方』

何に対して期限を切るか。
そこの観点が期限を切るという言葉にはすっぽり抜け落ちているので
期限を切る=死生観という単純構造ではないことは確かだ。


ただし、いづれも終わりを意識することによって、
『今』に対する見方/姿勢が変化することが近いと考えている



『5年後、自分が死ぬとした時に何を悔いるのか?何を思い残すのだろうか?』

『教えてください、あなたは何をするのですか/その激しくかけがえのない1度切りの人生で』

終わりを受け入れた上で、今を見つめて
『自分の生き方』にメスを入れていく。

地道な行程を繰り返すことによって、人は自分の輪郭を理解していき
自分という人間の器と軸を磨いでいく。


この行程こそが
今日を『生きるため』から
未来を『理想の自分の人生にしていく為に』
という自分の成長のフェーズシフトだろうと思います。


最初は誰も持っていないから、モチベーションがあるのは必然。
何かを得た人が、モチベーションをなくしていく。

そんな成長の矛盾を打破するのは、人生の目的を考え続け、研ぎすまし
優先順位を明確に置き(同率1位という考え方は、逃げであると今は思えるようになった、今回はこの件は割愛)たどり着く為の要素を分解し、何で包括するかを考え、明確な期限を切り実行に移すことが

人生の幸福度も上がり続けるのではないかと、確信に近い感覚だ。


<痛みと内省>

こんな哲学的なことを元々考えるタイプの人間ではなかった。
どちらかというと、目線は目の前にあり、場当たりの思考をしていたと振り返ると思う。

物事を見つめて深く考える為にはある種のトリガー(きっかけ)が必要である。

そのトリガーを考えてみると、『痛み』だったろうと思う。

悔しさ/悲しさ/虚しさ/憤りなど一般的に負の感情(痛み)と思われる感情を抱くと自分の殻に入り

なぜだ?/どうしたらいい?/本当にこれでいいのか?/正しいことをやっているのか?

自分の殻を破るための(殻に入らないと殻が破れないねじれ構造が厄介)、
今を見つめ直す思考に辿りつくトリガーが引かれることによって

強烈な内省状態に入る。

内省を迎え、向き合う。痛みを更に負い内省に入りまた向き合う。
こんなループによって、「何のために」という目的を常に意識し、強烈に自己に向き合う。


自分が尊敬する人はこのループを確立して自然に行っている、
自分の成長のフェーズシフトに必要なことだったんだろうと思います。

■2.大海に行き続ける蛙

物理学者で有名なアルバート・アインシュタインが下記のように語っています。

客観的に判断すれば、情熱的な努力によって人が真実からもぎとるものはとても小さい。
しかし、この努力は自己という束縛から私たちを解放し、最も偉大な人々の一員にします。


通常、経営や自分の身の振り方を『自分の居心地の良い所』に起きながら、進めていく傾向があるのではないかと思う。

得意なこと,強み,資源を有効に活用しながら押し進めていくことは確実に成果を生み出すだろうが、
長期的に見ると機会損失であるように思えてならない。


『居心地のいい環境』と『大海に飛び込む成長』もまたジレンマをはらんでいる。

得意なことや強みや資源は全て相対要素である。
大海に飛び込めば、実際はそんなものは吹けば飛ばしてしまう『何か』が確実に世界には存在している。

厄介なのは、大海に飛び込まなくても、その『何か』が確実に迫ってくることである。

グローバル化/第4次産業革命、自分は止まっていても関係なく世界はまわっていて、
構造をも変える変化の大波が猛烈なスピードで押し寄せてくる。

それならば、蛙のままでいいから大海に飛び込む。
自分の強みが全く通用しない世界で鬼速で適応し、進化する。



居心地のいい環境の恐怖は、
恐怖すら感じられない恐怖だろうと思う。


『自分の得意な領域(得意だと思っている領域)だけでやっていると、頭を使わなくても楽にある程度の成果(利益)が出すことが出来る。新しい知識や能力を身につけなくても蓄積してきた資産の上に乗っているだけでうまく回せ(ているような気になり)ます。』

最近、出会った一節。
まさに、こういうことなんだろうと思います。



振り替えると、自分が得意であり強みと思っていたことは
視野がないことによる思い込みに過ぎなかったと思えることが多い。

『自分とはこういう人間だ』
『経営とはこういうことだ』
『この仕事はこういうことだ』

数々の思い込みの産物による、
主観的な感覚は、客観的な事実を前にもろくも消え去る。

つまり、自分の蓄積した『経験』や『実績』『知見』と照らし合わせて、
これから吸収することに対して『それは知っている』『得られるものは少ない』と錯覚した時に成長は止まるときではないかと思う。


視点(見方)を変えて捉え直すクセを確実に習慣に落とし
それでも、得られるものが少ないと判断した時こそが大海に飛び込むではないだろうかと思えてきた。


客観的に判断すれば、情熱的な努力によって人が真実からもぎとるものはとても小さい。
しかし、この努力は自己という束縛から私たちを解放し、最も偉大な人々の一員にします。



前文を抽出して捉えると

『客観的に視点で自分を捉え続け、目的に対してチューニング的(成長に対して)
時には取り替える視点の努力の中をしても、やはり普遍的な法則性・規則性のはらむメカニズムを前にすると1個人の出来ることは卑小である』

ここからの後文こそと味わいであり伝えたかった本質であろうと思う。


『だが、情熱を持ち続け、大海に飛び込むに過程を通して、
凝り固まった『自分』という捉え方が変容し、
束縛を解き『偉大』足らしめる何かに変わっていくこと』


ということを指摘しているのではないだろうか。


『偉大』足らしめる何かを語るには、まだまだ足りないピースが多すぎる。

自分の言葉で語れなければ、意味がない。

体感値積んで、語れる人間になるために
大海に飛び込んでやろうと思う。