twitterが主なのでブログはついさぼりがちに!!!


最近学校では倫理学を学んでるんです。

とはいえ、バリバリ文系で数理の世界とはほぼ無縁(簿記の計算くらい?笑)

の私!!

もちろん理解できないーーー

そこで真剣に思ったのだけど、

倫理学は神様がすでに私たちに与えた自分のロゴス(理性)を持ってして、

神様がすでに世界に与えたロゴス(理法)の意味を明らかにしようとしている学者たち

というならば

彼らの目的はなんだろう

確かに、もう変えられない世界の意味を明らかにする、とかいうのが目標なのかもしれないけど

それを明らかにして、結果どうするの?

やっぱり社会をよりよくするために?人間が幸せになって、動植物も地球も幸せになって?

世界平和が達成される?

すごく個人的な、ていうか稚拙な意見なのは重々承知なんですけど

世界平和が達成されたその時に

きっと私たちが思う「世界」は終わるんだと思う

どうやって終わるのかはわからないけど。

と考えれば、この世界はまだまだ終わらないみたいだね



それにしても「自分にとっての表れ」と「それ自体の存在」にズレがあるなんてよく考えついたなー

確かに「それ自体の存在」を「意識」する際に、

「自分にとっての表れ」と「意識」の間にズレは生じないけど。

私は今まで「自分にとっての表れ」と「表れを意識すること」は同一かと思ってたよ。

いろいろなことを当たり前だと思って生きてきたからかな