さてさて、長くなりそうなのでpart 2です!笑
誕生日に女子会…とても幸せな時間でした。
でもやはり人生はそんな上手くできてないですね。
一ヶ月ほど危篤状態だったおじいちゃんが8月25日に息を引き取りました。
私はこの日は朝からバイトをしていたのですが、バイト先に母から連絡が入りすぐに病院に行くように言われ、早退させて頂きました。
病院に着いた時、おじいちゃんの呼吸はとても細々としていて、生きる為に、息をするために最後の力を振り絞っているようでした。
聞こえているか分かりませんでしたが、耳元で一生懸命"おじいちゃん、そばにいるからね"と声をかけました。
おじいちゃんが亡くなったのは病院に着いて2.3時間後だったと思います。
おじいちゃんと過ごした日々を思い出し、涙が止まりませんでした。
そんな私の頭を母と姉が撫でてくれてました。
私は小学生の頃から両親が共働きだったため、学校帰りはランドセルを背負ったまま近所で一人暮らしをしているおじいちゃんの家に行き、夕飯を一緒に食べて、夜母が迎えに来て家に帰るという生活をしていました。
おじいちゃんの家に行くと制服がタバコ臭くなるから嫌だなぁと思いながらも、何だかんだおじいちゃんの家が居心地が良くて、小学校高学年になっても中学に入っても、もう家で一人で留守番できる歳でしたがほぼ毎日おじいちゃんの家に通っていました。
ソファで2人でテレビを見ていると、いつも私が昼寝をしてしまい、起きると毛布がかかっていたり。
私がおじいちゃんの家に飽きると無理矢理近所の和菓子屋さんに連れていって、一緒にあんみつを食べたり。
お父さんと喧嘩して家出すると、いつも実家から徒歩1分のおじいちゃんの家に隠れていました。笑
泣きじゃくる私をみて、"パパがいじめたの?かわいそうにねぇ"と言って、温かいお茶を出してくれるおじいちゃんが大好きでした。
そんな日々が続いていたのですが、私が中学3年の秋、おじいちゃんは突然脳梗塞で倒れました。
話を聞けば、ずっと脳梗塞の傾向があり薬を病院からもらっていたそうです。
ところがおじいちゃんの家には飲んだ形跡の無い薬が大量に。
きっと"じいじは大丈夫よ"といつもの調子で飲まなかったんだろうなぁと。
その時はもし私があの時薬をもらっている事を知っていたら、毎日おじいちゃんの家に行く時に管理したのに!と自分を責めました。
それから5年間、おじいちゃんがあのマンションに戻ってくる事はありませんでした。
お葬式では山田耕作作曲の、からたちの花という曲を歌いました。
この曲は、おじいちゃんが入っていた病院にボランティアで私が歌いに行った時、いつも歌っていた曲なんです。
私が歌う時、おじいちゃんはいつも一列目で聴いていて、一緒に歌ってくれました。
お葬式で歌った時も、おじいちゃんが一緒に歌っている気がしました。
おじいちゃん、私のおじいちゃんでいてくれて本当にありがとう。
iPhoneからの投稿
誕生日に女子会…とても幸せな時間でした。
でもやはり人生はそんな上手くできてないですね。
一ヶ月ほど危篤状態だったおじいちゃんが8月25日に息を引き取りました。
私はこの日は朝からバイトをしていたのですが、バイト先に母から連絡が入りすぐに病院に行くように言われ、早退させて頂きました。
病院に着いた時、おじいちゃんの呼吸はとても細々としていて、生きる為に、息をするために最後の力を振り絞っているようでした。
聞こえているか分かりませんでしたが、耳元で一生懸命"おじいちゃん、そばにいるからね"と声をかけました。
おじいちゃんが亡くなったのは病院に着いて2.3時間後だったと思います。
おじいちゃんと過ごした日々を思い出し、涙が止まりませんでした。
そんな私の頭を母と姉が撫でてくれてました。
私は小学生の頃から両親が共働きだったため、学校帰りはランドセルを背負ったまま近所で一人暮らしをしているおじいちゃんの家に行き、夕飯を一緒に食べて、夜母が迎えに来て家に帰るという生活をしていました。
おじいちゃんの家に行くと制服がタバコ臭くなるから嫌だなぁと思いながらも、何だかんだおじいちゃんの家が居心地が良くて、小学校高学年になっても中学に入っても、もう家で一人で留守番できる歳でしたがほぼ毎日おじいちゃんの家に通っていました。
ソファで2人でテレビを見ていると、いつも私が昼寝をしてしまい、起きると毛布がかかっていたり。
私がおじいちゃんの家に飽きると無理矢理近所の和菓子屋さんに連れていって、一緒にあんみつを食べたり。
お父さんと喧嘩して家出すると、いつも実家から徒歩1分のおじいちゃんの家に隠れていました。笑
泣きじゃくる私をみて、"パパがいじめたの?かわいそうにねぇ"と言って、温かいお茶を出してくれるおじいちゃんが大好きでした。
そんな日々が続いていたのですが、私が中学3年の秋、おじいちゃんは突然脳梗塞で倒れました。
話を聞けば、ずっと脳梗塞の傾向があり薬を病院からもらっていたそうです。
ところがおじいちゃんの家には飲んだ形跡の無い薬が大量に。
きっと"じいじは大丈夫よ"といつもの調子で飲まなかったんだろうなぁと。
その時はもし私があの時薬をもらっている事を知っていたら、毎日おじいちゃんの家に行く時に管理したのに!と自分を責めました。
それから5年間、おじいちゃんがあのマンションに戻ってくる事はありませんでした。
お葬式では山田耕作作曲の、からたちの花という曲を歌いました。
この曲は、おじいちゃんが入っていた病院にボランティアで私が歌いに行った時、いつも歌っていた曲なんです。
私が歌う時、おじいちゃんはいつも一列目で聴いていて、一緒に歌ってくれました。
お葬式で歌った時も、おじいちゃんが一緒に歌っている気がしました。
おじいちゃん、私のおじいちゃんでいてくれて本当にありがとう。
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