歌が上手くなればいいのに。

ふとそう思うときがある。

イヤホンをつけて大好きな音楽を聴きながらぼーっとしていると、自分もこんな風に歌えたらいいのにと思う。
生命力に溢れてて、感情がむき出しで、とろけそうになる。そんな風に歌いたい。

大好きになる歌は寂しい男女の歌が多い。
それは、純粋な恋人の関係の終わりの歌じゃなくて、もう1つ捻くれてて複雑な男女の関係の歌。

昔から、まっすぐなものは苦手。息がつまる。

“素直はいいこと”なんて絶対嘘だ。
まっすぐさは狂気的。
幼稚園生みたいな正義感は確かに正しい。正しいからタチが悪い。
正しいことが良いなんてことはない。そういうのは、多分、みんな少しずつ気付く。

私は素直でまっすぐな人よりも、優しい嘘つきが好き。

人のことを考えて、考えすぎて時に臆病になったり間違えたりする、そういう人って人間的で、優しくて、素敵だ。

だから私は正しいことを正しいと伝えるまっすぐな歌よりも、間違っていても人間らしくて、捻れていても優しさがある歌が好きなんだと思う。

人によってはこういう考え方すら、面倒で鬱陶しいんだろうけど、私はそういう思考をやめられない。そうやってできてる。

誰がどうとか、周りの目がとかじゃなくて、ただ純粋に自分がやりたい、自分が楽しいと思う方に進める人は、プラスのエネルギーが溢れてて、毎日キラキラが弾けてるんだろうと思う。

私とは圧倒的に違う生き物。

そういう人と関わっても、ちゃんと交われた感じがしない。

普通は関わりを持ったら、交点ができて、私の人格の1部分はその人の色に染まる。
その大きさは一瞬で認識できるほど大きい人もいれば、肉眼では見えないくらい小さい人もいる。
心臓に限りなく近い人もいれば、髪の毛の先でいずれ切り落とされる人もいる。
そうやって、いろんな人との関わりと、ほんの少しの揺るがない自分で、私は構成されている。

だけど、そういう人は交点ができない。
交点ができても、私と混じれない。
水と油みたいに分離してしまう。

やっぱり私はどんなに頑張っても彼らみたいにはなれないし、なりたくない。
そういう生き方を否定するつもりはないし、寧ろとても素敵だと思う。
それでも私はそうはなりたくない。

私はこういう思考で生きてるから、見つけられるキラキラがたくさんある。

終電帰りの家路の最後の角を曲がった瞬間に綺麗な月が見える瞬間とか、電車の窓から一瞬見えた商店街の賑わいとか、1人で住宅街を歩いていると美味しそうな夜ご飯の匂いがしてくるのとか。

そういうキラキラが好き。
宝石とかミラーボールみたいな輝きはないけど、もっと、暖かいきらきら。
そういうのが好き。