台風のような大荒れの天気の中、今日おばあちゃんを送り出しました。
昨日書いた「実感の無さ」が、おばあちゃんの顔を見た瞬間に吹き飛びました。
「何でこんなところに?」という気持ちと、「ホントなんだな」という確信。
おばあちゃんの部屋は何もかもそのまんまで、入院しようというクセに冷蔵庫の中さえもそのまんまで、
ホントに短期間で退院する気満々だったらしい。
本人が一番「死」を意識していなかったようで、ガンだったクセに眠りについたらそのまま永眠してしまったという感じだったらしい。
ホントに痛みも苦しみもない安らかな表情で、ただ眠っているという感じでした。
信じられないくらい冷たくなってしまっていたことを除いては、何の違和感もない。
おばあちゃん、より先に亡くなったおじいちゃんは住職さんだったもんで、昔から読経を聞く機会が多かった。
おばあちゃんは、おじいちゃんが亡くなった時も亡くなった後も、おじいちゃんの為に御経を読んでいて、
そんなおばあちゃんが亡くなった今、御上人さんの読経がおばあちゃんの記憶と重なって非常につらかった。
昔は約1時間にも及ぶ読経が途方もなく長く感じられて、苦痛で苦痛で仕方がなかったけど、
私が生まれてから26年間のおばあちゃんとの思い出が沢山甦ってきて、本来その為の時間だったんだなと当然すぎることを痛感させられた。
思い出が大して無いなんて嘘ばっかりで、小さいころからおばあちゃんちに帰省しては歓迎してもらったし、
一緒にタケノコ掘ったり、焼き芋したり、遊園地つれて行ってもらったり、もちつきしたりしたし、
同居してから、だんだんと会話は減ってしまったけど、必ず東京へ帰るときには、「いってらっしゃい、気をつけて」と声を掛けてくれたじゃないかと。
最後に私がおばちゃんと話したのはいつで、何と話したのか思い出せない。
26年前から私はずっとおばあちゃんの初孫で沢山お世話になったのに、
大したこともできないままに居なくなってしまった。
出棺の瞬間、本当に二度と会えないのかと思うと涙が止まらなかった。
本当に、今までありがとうございました。と手を合わせることしかできなかったわーーー![]()