まだ生きてたんだずいぶん前にブログが流行っていた?自分も愚痴みたいなブログとはいえないコメントを書いた。今日、尊敬する、もと国会議員のブログ見るためアプリをダウンロードしたら自分のブログが出た。デジタルの世界に心の叫びが生きていたような感じがした。将来、人工知能は涙を流せるのか?
坂の上には結局何もなかった・・・とならないだろうか?哲学的な難しいことでなくて、心が折れそうな時や なんだか「努力がむくわれない」と感じたことありませんか? 「むくわれない生き方」香山リカさんが書かれている 本の通り、まずは、「自分はむくわれている」そう思って 自分の人生を真正面から受け止める必要があるの だろうか? 10人いれば、10通りの人生があり、幸せがあり 価値観があり、結局、身の丈にあった人生で満足?する ように自分の考え方を変えなくてはいけないのだろうか? 世の中の人が全員、ゴルファーの遼クンになれないだろうし イチロー選手のような人生も送れない。 勝間和代にもなれないわけだから・・・ しかし、そうは言っても「身の丈とは」結局なんだろう。 内定が取れるだけでも「幸せ」と感じれば良いのか? 仕事があるだけでも「幸せ」と感じれば良いのか? 家庭を持てるだけでも「幸せ」と感じれば良いのか? 今の世の中、「人生に目標が持てない」ということが 原因なのだろうか? 高度成長期の時代(昭和30年後半以降)には皆が 「中流」になることを目指して、仕事をがんばれば 「それなりの見返り」があったように感じたが・・・ 今は、先が見えない時代で、何でもかんでも 「自己責任」という言葉で「片付け」・「ごまかし」ている ように感じてならない。 電力会社が本当に悪いのか。 土下座して謝れって言われても・・・。 何でもかんでも「想定外」という言葉で済むのか? 100年に一度の不況って言われても・・・。 何を自分の「指針」として生きればいいのだろうか? 混沌としている「この世の中」において 今、「新しい価値観を創生している」過渡期の時だから 混迷しているのだろか。 あの丘の向こうに、「新しい何か」があると思って 登ったら、結局、何もなかった・・・ そんなことにならないだろうか?