きのうは特急北斗からキハ281が運用離脱
という
歴史的なできごとが…❆
きのうまでずっとつづいていたあたりまえの光景が
もう二度とみられないなんて…
時間は確かに進んでいて
決して過去には戻れないのだと実感させられます
キハ281をマイトレインと想うひとは
単にこのキハ281を好きなだけでなく
すくなくともこれらの行動でそれを証明していると想います
▢ 複数回乗ったことがあるし
▢ 遠くに住んでいても廃止のはっぴょうをきいて乗るか撮りに行くし
▢ 近くに住んでいれば最後の日にも乗るか撮りに行くかする
私もキハ281系はとても好きでしたが
近くに住んでるのに最後の日に行きませんでした
好きという気持ちはあったけど
マイトレインじゃなかったっていうことですね
ほんとうに愛があれば行動でそれを証明していると想います
なぜなら
真の愛は行動するよう駆り立てるから
廃止されることが決まってから
多くの人が遠くからキハ281にお別れに北海道へ
乗ったり撮ったりしに来ました
そういう人は本当にキハ281愛があったんだな〜と想います
愛があるならできることはなんでもする
できないことに想えてもできないかどう挑戦してみます
でも愛がなければ できることでもしないですよね
札幌へラストランを見に行かないのはキハ281愛がないということで
私はキハ281系に対しての愛はだめでしたが
もっと深刻なことに
私には最近あまり連絡をとっていないひとたちがいます
それはもっと好くないですよね
かつて一緒に色々なことをしたとか
であったときに好感をもって連絡先を交換したのであれば
ふさわしくない恋愛などの問題がなければ
一生細々とでも連絡を保つ責任があるんじゃないか
とおもいます
この点に関して多くの人は上手にしていますが
私は苦手で最近反省しています
メールやラインで連絡を取る遠くの人の場合
先回いつその人と連絡を取ったかが記録されています
ラインでつながっているのに数か月とか1年とか連絡をとらない
もしかしたら
そのあいだに事故とかがあって
すごい大変だったけど周りの人の支えでなんとかがんばれたんだ~
という事実を知ることになります
だいじょうぶで好かった~♪
とよろこびますが
その瞬間
複雑な感情が…
その人の友ではなかったことが確定したことを悟るのです
辛い時に支えるどころか知らなかったなんて
真友とはいえませんし
その人のつらい時期の前後にその人に対して
愛あったかor愛がなかったか
の
2択を断定されるなら
物理的に連絡ができるのに連絡しないで状況を知らなかった
のですから
愛がなかった
ということになります
もうその
連絡を取らなかった期間/助けになれなかった
という失った過去は
決して戻って変えることはできなくて
連絡先を知っているのにそういう悲劇が生じてしまったら
出会って以来の真の友ではない
ということが実証されてしまっています
でも
将来は変えることができる
これからはちゃんと定期的に連絡を取って
そばで実際に助けることはできなくても
気持ちで励ましたりささえあえるように頑張るなら
生涯の親友ではなくても
旧友のタイトルは取り戻せるはず
物理的に“親友枠”というのはひとりに3人まで
といわれていますよね
ラインってすぐつながるので
もし連絡先が何百人にもなってしまえば
それはこれまでの人類が経験してこなかったゾーンなので
失敗は絶対にあると想います。
毎日誰か一人か二人とれんらくをとっても
毎年1ッ回になってしまうので膨大なとりくみだけど
ちゃんと連絡を取ってないひとがいないかチェックしたいとおもいます
これって年賀状とか誕生日とかを几帳面にする人たちには
生じないことなのでしょうけど
私はそうではないので
メールやラインを交換するときには覚悟をもってしたいとおもいます
連絡先を交換して連絡できるのに連絡しないのはとても失礼なこと
これからはちゃんと定期的に連絡を取って
そばで実際に助けることはできなくても
気持ちで励ましたりささえあえるように頑張ろうとおもいました
自分にできることだけでもするなら
すごい親友ではなくても心友にはなれるから…❆