目標がもうすこしというところまできているのに
予期しなかった展開になって流れを制御できないのはとてもモドカシイ
外出中にみた…いつもはみない水の流れ
側溝からたえまなく溢れるきよらかな泉
アスファルトに無数に湧き出る謎の泉たち
滾々と湧き出る水に滾湧(困惑)し
写真撮ったり避けて通ったり
どうしてこんなことに???
この世界にはわからないことがいっぱい
千葉ロッテの50年以上ぶりのリーグ1位優勝…
MLB100年以上ぶりに大谷翔平選手の10勝10HR…
ピッチャーが本塁打王という奇跡…
どれも
ここまできながら…最後の最後で流れが変わって来て
大試練です。
選手たちはこの流れを制御することができるでしょうか。
大谷翔平選手は
『 ロサンゼルスは大好きだけどそれ以上に勝ちたい 』
といった。
とてもその気持ちはわかる・・・
そしてそれは他のチームに行きたいというより
もっと強くなってほしいということ
だと想います。
じっさい
甲子園に出るふつうの県立高校とかには
その学年に一人抜けた子がいて
四番ピッチャーということもあるけど
なんども甲子園で優勝するような強豪私立は
実力がすごいのに試合に出られない子がいくらでもいて
大坂桐蔭のようなチームではピッチャーは8~9番を打っている。
超強いチームで 『 二刀流をしたいです!』 といっても
『 自分だけ試合に出られればそれでいいのか?
打てる子は他にいるからまかせてピッチングに専念しなさい 』
と
いわれてしまう。
まして二刀流をさせてもらえるチームは
バッターの必要が大きいチーム。
『すみませんほかに打てる人が少ないので打つほうもやってもらえますか』
というのが健全で
打力はすごくないチームなのではないか と
想います。
以前お世話になった旅行する先生がおられるのですが
その方のおとうさまがプロ野球選手
しかも
二刀流だったそうです。
1946年、セネタースに入団。←大谷翔平選が二刀流をしたファイターズの前身です。
開幕投手を務めシーズン6勝を挙げる傍ら、外野手としても88試合で守備に就き、同年の規定打席300打席を上回る406打席に立った。[2]
最初の二年で完投19
でも完投19で9勝しかしていないなんて!
チームの打力が低すぎたのではないか
と 想います。
一言多十選手は今のファーターズであるセネタースが発足した1946年
ファイターズの歴史の最初の公式戦に先発したそうです。
この年のチームは
47勝58敗で5位でした。
でもそのチームの選手層おかげでこの打率で二刀流ができたのでは?
ふたりのチームメイトがそれぞれ
HR王と最多勝を獲得しての二刀流だったそうですが。
大谷選手だって
もしエンジェルスに超すごいバッターが10人いれば
打者としてレギュラーになれなくても
20勝以上できるかもしれない。
二刀流というのは本当にすごくて
二刀流選手に登録されるだけでタイトル級です。
だから
ピッチャーの勝ち数が9か10かはどうでもよくないですか?
防御率に比べると相対的なものでしかない。
ホームランも球場の広さとか打席数もみんな違うし
敬遠もあるならなおさら相対的なもの。
それより二打席連続三塁打とか7回一失点10奪三振が
走功投で十分すぎる無双のすごさです。
この打率でも試合に出られるチームだったからこそ
45HR打てる打者だということが分かった。
というかそういう打者に育った。
日本にいたころは日本でもそんなにたくさんのホームランは打てなかった
のですから
それはこのチームで二刀流を思う存分させてもらえたおかげで
わかった可能性…養えた実力かもしれないし。
強いチームならピッチャーの時にノックアウト1回されても
二刀流で集中してないいないからだ!
と
二刀流のせいにされるかも?
たとえ優勝できなくても
必要の大きなチームにいるほうが好いと想います。
成績や業績より愛が大切。
このチームが好き。
自分だけは残っていつか絶対優勝させる。
ケガもエンゼルスが治してくれて去年一年は試運転させてくれて
フル稼働したのは今年からのようなもの。
それで一年やってみんなのおかげで45HRに9勝できたからといって
よもや
勝てるチームに移籍したい
なんて
想うわけがない。
このチームを勝てるようにする。
きっとそう思っておられるでしょう。