キラキラさくら台湾ようこそ日本雪の結晶キラキラ

 

 

 

📖 全てのことをマナーを守りルールに沿ってしましょう

📖 全てのことを愛をもって行いましょう

 

ルールは多くの場合

うっかり/それとは知らずに

他の人を苦しめてしまわないために存在しますよね。

 

専門家が方向性を定めたルールを守ることは

自分が知らない不利な状況で生活している人を気遣う

愛です。

 

守らなくても罰則がないのにルールを守る人は

とても尊敬できます。

 

世の中にはいろいろな人がいて

自分の好きなように行動してそれを誇示する人

多くの人がルールを守ることをあざ笑う人もいます。

 

たしかに人間にはより大きな自由を好む傾向があるけど

ルールは大切だと想います。

 

スポーツにはマナーやルールがあって

 

スポーツを真剣にする人は

他の人を気遣いながら成長できます。

 

美しい瞬間や思考はルールが基盤になって創出されます。

 

ルールのおかげで

研ぎ澄まされたパフォーマンスが引き出され

人格も訓練されると想います。

 

マナーやルールを尊重するなら美しさが身につきます。

 

野球にもルールがあるのでストーリーや感動が生まれます。

 

 

 

キラキラ最近のナイスガイ三選キラキラ

 

 

 

他の人を惜しみなく褒める人

 

 

 

常に見張っていて全力で取り組む人

 

 

 

 

 

他の人から実力不足を指摘されてもあきらめない人

 

初秋の北海道に元気なニュース

 

Photoは2019年…

なかなか打てなくて

2020年には育成に降格した姫野優也選手

 

 

⬇︎

 

2021年

資格を失っても人生をあきらめない人として再び登場

 

 

 

 

 

四季の変化もひとつのルール

 

もうすぐふゆ

 

 

 

 

サーフィンおんぷ

 

 

ありがとう

 

 

 

 

必ず誰か/何かが自分を支配している?

 

あなたの生活を誰かが支配している 

いきなりだれかにいわれたら 好い気持ちはしません。

どういうことですか? と尋ねます。

わたしたちは自由が好きで,自由でなくなることを恐れます。

 

ヨーロッパでは昔は王様が支配者で,みんなを支配していました。

今から400年前の日本でも徳川家光という人が日本人を支配していました。

 

わたしたちは自由が好きですが,ルールがないと多くの問題が起こることも知っています。

ゲームやスポーツと同じで社会にもルールがあります。

ルールの身近な意味は規則です。

支配権は英語でルールシップといって 社会の中では支配者がルールを決める感じになります。

ルールはほとんどの場合好意的に受け止められていますがルールそのものが万能というわけではありません。

ルールが自由をある程度制限しても自分の生活の質を高めると感じる場合,人々はそのルールを好みますが,ルールが一部の人だけの利益を意図し自分の自由を制限するだけであると感じるなら多くの人は反発します。

 

強い王様はルールを全部自分で決めて,なんでも好きなようにできます。

今の民主主義の国では主権者がたくさんいるので

多数決で決まった大きなルール(法律)が許す範囲内で各自が自分のことを決めます。

ですから強い王様はほんとうに自由に見え,今の人々は国民主権というほど自由にみえないと感じる人もいます

 

でもあらためてよく考えてみると,

昔の強い王様の無制限に見える自由も,

今の一般人の享受する制限された自由も,

基本的なところではそんなに大差がないように感じられてきます。

 

昔から,強い王様とその周りの人たちはお金を稼ぐ方法や使い方を決め,どこにいっても誰かがサービスを提供してくれ,王様は仕える人が生きてそのサービスを続けられるように報酬を与えます。いろいろな国の食べ物を取り寄せて楽しんだり,乗り物に乗ったり,いろいろな服をきたり,医者に診てもらったり,ごはんも誰かがつくってはこんできてくれます。音楽家を家に何人も住まわせて彼らが演奏する音楽を楽しみながら家族や友人と会話したり,演劇をみたり世界からいろいろな情報がとどきました。王様によっては勝手気ままに恋愛をして母親の異なるたくさんのこどもをもうけていました。

そういうことは支配者である王様とその周りの人にしかできませんでした。

昔の一般人は旅行に行ったり,いろいろな国の食べ物を取り寄せて楽しんだり,乗り物に乗ったり,いろいろな服をきたり,医者に診てもらったりできませんでした。眼鏡もないので失明と同じ状態になる人もたくさんいました。

昔の強い王様は一般人に比べるとはるかに気ままで自由で,誰も彼を支配していないようにみえますが,実際はそんなに幸せではありませんでした。

ほとんどの王は自分自身か隣の国の王が今あるもので満足できなくて,戦争になって戦死したり捕虜になりました。他の人に苦しい思いをさせて自分だけ幸せになろうとして,革命にあって処刑された人もいます。妻と子供をたくさんもうけた結果,ほかのこどもより少なく愛した子に他の子供たちを殺されたり自分も追放や暗殺されたりさえした人もいます。

 

ですから強い王様も結局,

自分をさえ幸福に支配しきることはできませんでした。

 

じっさいに

これまで,一生ずっとなんでも支配できた人はいないのです。

どんなに幸福な時期があっても,

いつしか必ず問題が増し加わっていき,

どこかの時点で楽しい生活よりも災難が上回って

だんだん自分のおもうようにはできない状況に陥り,

最後は死んでしまいました。

 

今でも,王様とは呼ばれていないけど,

国を統治する点で強権を持った王様のような人が何人かいます。

そして幸せにはみえません。

犯罪や暗殺やクーデターや外国からの攻撃を恐れていつもびくびくしています。

ぜいたくな生活をして

外国からの核攻撃に対して万全の備えをしても,誰一人,

老齢や病気や死には勝てません。

 

一方,欧米や日本では

今では自由を勝ち取った大勢の一般の人が昔の王様のような自由を楽しめるようになりました。

お金を稼ぐ方法や使い方を決め,どこにいっても誰かがサービスを提供してくれてそれに対して報酬としてお金を払います。

いろいろな国の食べ物を取り寄せて楽しんだり,乗り物に乗ったり,いろいろな服をきたり,医者に診てもらったり,眼鏡も買えます。レストランに行けば一部の例外を除けば好きなものを誰かがはこんできてくれます。

ほかの人が演奏する音楽を楽しみながら家族や友人と会話したり,世界中のいろいろな出来事やスポーツやドラマを自分の部屋から見渡すことができます。

彼らはその自由によって楽しそうに見える時もありますが,

ほんとうに幸福でしょうか。

多くの人が,主権,人権,自由に固執し,

自由を制限されそうになると怒り,暴動さえ起こします。

満たされる多くの人は,しばらくは現状を楽しみますが,

もっとできるとおもっているので心から満足することを知りません

いつも不満を抱いています。

自分は自由であると想いながら商業体制の奴隷のように生きています。

物質的に充実するほど犯罪の標的にされる危険に対処しなければなりませんし,

病気や死への恐れから逃れられてもいません。

 

このように,権力や経済力のない人だけでなく,

どんなに権力や富や力を手に入れる人も,

人は全員,

必ず誰かや何かに支配されています。

 

本当の意味で主権者になることはできない,

たとえ地の果てに一人で逃れても,そこにさえ完全な自由はありません。

必ず何かを気にして折り合いをつけて生きていかなければならない

それが人間だとおもいます。

 

幸福な社会のためには,個人の自由は制限されなければなりません。

自分の自由によって他の人の自由を侵害することは

すべきではないからです。

自由が首尾よく行使されるにはルールが必要です。

小さいころから何度も学校で教わってきたとおりです。

そのルールが自分のためを思ってくれて制定されていれば,

そのルールが自分の自由を制限したとしても満足できます。

 

自由よりすてきな制限

それは

神の律法です。

聖書に出てくる人で,聖書の一部も書いている,ダビデという王様がいました。

彼は王でしたが,何でも好きなようにするのではなく,

人を愛し人の幸福を願う神さまの命令を愛し,神さまに倣いました。

(📖詩編83:11)

そしてうっかり命令を破った時には,

一瞬楽しく感じても心は晴れやかではない,ということに気づき

心から反省し改めました。

人をつくってずっと愛している神さまの命令は

本当に正しいもので歓んで従いたいとおもいました。

 

王であってもなくても,

聖書にある神さまの命令を学んであてはめるなら

どんな状況になっても希望と平安があり,

今も,将来も,心が必ず幸せでいられる

と,

ふつうではかんがえられないほど苦しい目に遭っているたくさんの人たちが

いっています。

 

自由は相対的で,

人は必ず誰か/何かに支配され/ルールに従って生きています。

そうであるなら,

真剣に考えて行使できる自由のひとつには 

誰に支配されるかを選べる自由 

があるのではない

でしょうか。