このテキストは2021年5月にアップしましたが
フォトが2018年の鉄道旅のスナップなのでこちらの日付に移動しました。
テキストでは2021年の春の時点での最近考えること…
コロナ禍での暴力事件に巻き込まれないため
どうしたらよいか…を考え
しばらく掲載したのち
コメントなども特になかったので2018年に戻しています。
最近 反社系よりも一般のオタク系の人の暴力事件が
報道されていて
残念ながら鉄道ファンもやちゃいましたね。
特にコロナがらみの暴力事件をよくききますが
ボクなりに考えてみただけですが
コロナがらみな暴力事件に巻き込まれそうなタイプは
二種類あると想います。
ここでいう『巻き込まれる』には加害者になることも含んでいます。
それは
自粛警察系
と
コロナをなめること
(自粛をしないだけでなく堂々とそうしたり自粛を批判すること)
この両極端のタイプで
日常的に暴力的なゲームをしていると危険です。
どちらも極端な考え方で
どちらも互いに不満を宿して暮らしがち
ではないでしょうか。
そして不幸にもどこかでこの両者の利害が交錯がすると
トラブルが発生して
あとはどっちか先に手を出してしまったほうが
加害者として逮捕されているだけの違い
だと想うのです。
両方とも武器をもっているわけではなくて
暴力事件を起こす前に暴力を計画していたわけではない
という共通点があります。
でもなぜ暴力になってしまうのか。
それは
愛が欠けているから
x
日常で楽しむ暴力ゲーム
だと想います。
普段の生活で
よりいっそう暴力的なゲームをしているほうが
より先に手を出しやすいでしょう。
でもたぶんメインの理由は愛が欠けているから
で
暴力ゲームをしていれば
本来は愛がある人でも愛が欠けていくと想います。
家族や友人や好きな人への愛はあるとしても
ゲームの中で人の姿をした動く敵を
その人の個性や名前や家族を想像しないで次々倒す
という精神態度は
見知らぬ人を どうでもいいやつ と考えることを
増長すると思います。
暴力ゲームをしているx自粛警察側の場合は
自粛しない人のそれぞれの事情を思いやろうとしない
とか
自分と違う考えの人を打ち倒してもいいという
極端な正義感。
暴ゲーx極端にコロナを軽視する側の場合は
みんなが家にいるすきに瞬時に自分だけ快適に外出しようとか
自分を媒体にしてだれかが死んでもOK
という考え。
…にならないでしょうか。
そうと決めつけてはいけないですが。
とりあえずこのふたつ・・・とゲームで
自粛警察 も コロナをなめておられる方 も
愛がベースではない主義主張
と
なってしまえば
ふだんは表面化しなくても偶然の衝突ですぐ爆発しそうです。
せいしょのアドバイスでは
📖コリント第二16:14
何をするにしても愛を抱いて行ってください。
とあって
これはなににでもあてはまる基本原則です。
ボクはどちらかというとコロナのことでは
政府や自治体の指針プラスそれよりさらにちょっと警戒寄り
のほうで
鉄道旅もしても問題はないと思いつつ
指針に従って控えていますがそうじゃない人もおられます。
せいしょをあてはめて愛をもって考えるなら
それぞれ事情も想像できます。
いろいろなことを総合すれば
お互いさまですから
考え方の点でも
愛の気持ちをベースに人や行動をみるように…
コロナをなめる行動に賛同はしないけど
注意したりとかはしないでその場を離れる…とか
その方そのものはご否定しない…
みたいな感じで
自分とは違う考えの方の行動の理由を
温かい気持ちで理解させていただけるように
努力し
何をするにも愛を抱いて行ってください
という
せいしょのアドバイスをあてはめるようにしたいとおもいます。
ちょっとまえの乗り鉄スナップがあってアップしてみました。
あまり旅に出ようとしなそうな
残雪風景なので
青春18きっぷのあまりを利用してるのでしょうか。
少しblogにあげることを
アイヌ語でなんていうんだろう。
チョッピリアップ?
知りませんが少しあっぷします。
アイヌ語で『知らないっ!』てなんていうんだろう。
ワカラナイ。
何をするにも,愛を抱いて行ってください+。
📖