キラキラさくら台湾ようこそ日本雪の結晶キラキラ

 

 

 

このテキストは高山本線の乗り鉄記録ですが

車内での雑談と想ってきいてください。

 

 

日本に限らずアジアの傾向というか日本と台湾しかわかりませんが

たしかに各個人の道徳は緩んできているし

凶悪犯罪の方法や内容も次々と多様化してきてますが

それと同時に

公共の場や公式見解でのマナーは

どんどん良い方にブラッシュアップされていますよね。

 

しばらく日本社会で生活していないのでよくわからないのですが今の日本では

『身体障害者』

という表現は使われているでしょうか。

 

『身体障害者』は差別用語か…という討論をきいたことがあるような気もしますし

はっきりしませんが

 

『体の不自由な方』

どうでしょうか。

 

目や耳のことに関して

かつては色々な言い方があったようですが

その後は

目の不自由な/耳の不自由な方〜視覚障害/聴力障害者

という言葉になり

今では『それらも差別用語だ』『障害は個性だ』という方もおられます。

 

そんななか

この旅の途中に見かけた

JRの使っている表現

 

【○○○○○の○○な方】

非常にふつうで好い感じでした。

 

もう日本ではそれがふつうなのかもしれないですけど

台湾で暮らしていて

ストレートに漢字表現することに慣れていて

そのぶんも新鮮だったかもしれません。

 

 

 

 

 

 

都市部ではなかなか想像しにくいJR駅前の一軒家がここに

 

 

 

守備で観客を呼べた選手

 

 

 

 

雪の結晶

 

 

 

 

 

 

 

 

こんな山奥に

 

 

 

 

 

 

 

ひさびさの旅行〜行き先をググる

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

たぶん在校生と去年卒業した部活の先輩が偶然駅で再会

 

 

 

 

 

 

飛騨一ノ宮駅の 駅舎の屋根...❄︎

 

北海道と同じ屋根…❄︎

 

この辺りが豪雪地帯であることがひしひし伝わってきます…❄︎

 

 

 

 

そう 台湾も亜熱帯〜熱帯にあるけど 

高山なら 

ほんとうに珍しくて少しだけど 雪が降るんです。

 

 

 

 

一度だけたまたま雪の朝のフライトでみることができた

台湾の高山の尾根の雪

 

 

 

 

そして日本の高山駅に到着

 

 

岐阜をでた時は7時前でしたがもう10時を過ぎていますよ。

ちなみにこの旅は18きっぷなので深夜の湘南からずっと2000円ちょっとです。

 

 

❄︎〜 2017/高山駅時刻表 〜❄︎

 

 

 

 

 

 

 

↓ここで流れていたテロップがテキスト冒頭で述べた絶妙な表現で

おぉ…♪ と感じて記録したものです。

 

相対的な状況でのみ使える表現だけど

結局わたしたちは

呼称にしようとすることそのものに抵抗/違和感があるということですよね。

そもそも。

 

 

 

 

 

 

高山も楽しそうだけど きょうはレールサーフィン

 

次の波にのってその先へ進みます。

 

 

また登場キラキラ駅ネーム

 

 

 

 

雪の結晶

 

 

📖ヨハネによる福音書5章1〜6節

この後,ユダヤ人の祭り+があって,イエスはエルサレムに上っていった。 さて,エルサレムにある羊の門+の所に,ヘブライ語でベツザタと呼ばれる池があり,そこに5つの柱廊があった。 その柱廊には,病気の人,目が見えない人,足が不自由な人,体がまひした*人などが大勢,横たわっていた。 4* ― そこに,38年間も病気の男性がいた。 

イエスはこの男性が横たわっているのを見,

もう長いこと病気であるのに気付いて,「良くなりたいですか+」と言った。

 

雪の結晶

 

こうしてちゃんとせいしょをみると

神さまもイエスキリストも『身体の障害も個性の一つだ』とは

おもっておられないことがわかりますよね。

それは神さまの創造した完全な最初の設計と比べて明らかに障害であって

神さまは『それもまた個性だよ』などとはおもっておられない

はずです。

なぜなら…せいしょをみると神さまもイエスキリストも

障害のあるわたしたちが

少しでも楽に忍耐できて喜びと希望を保って頑張れるように手伝いたい

最終的には絶対に治す

決めておられることがわかるから。

 

障害があるという状況は本来はなかったはずの状況なのですから

だれもが喜んで受け入れられる明るいプラス表現が

なかなかみつからないのは自然なことだとおもいます。

喜ばしいことではないのですから。

 

それでどの表現を用いてもある立場の人たちは快くおもわない

という可能性は常にあります。

でも

📖ペテロ①4:8『愛は多くの罪を覆う』

とあって

今のところ普通に暮らせる人が選んで使う表現が

残念にも障害を負ってしまった方にとって

最初のうちは差別用語という印象や他の誤解を与えてしまうとしても

純粋な愛と関心をいだいて接しているならそれは伝わるはず…

ささいな表現の方法の違いは大きな問題とはならないとおもいます。

 

📖マタイ15章29〜31

29 イエスはそこをたち,ガリラヤ湖の近くに来た+。そして,山に登って座っていた。 30 すると,大勢の人が,手足が不自由な人,目が見えない人,口が利けない人など,多くの人を連れてきて,イエスの足元に置いた。イエスはその人たちを治した+。 31 群衆は,口が利けなかった人が言葉を発し,手が不自由だった人が治り,足が不自由だった人が歩き,目が見えなかった人が見えるようになったのを見て,とても驚き,イスラエルの神をたたえた+

 

📖イザヤ35:4〜6

 心に不安を抱いている人たちに言え。

「強くありなさい。恐れてはいけない。あなたたちの神が来て復讐する。神が来て報復する+。神が来てあなたたちを救う+」。 その時,目が見えない人は見えるようになり+,耳が聞こえない人は聞こえるようになる+。 その時,足が不自由な人は鹿のように跳びはね+,口が利けない人*は歓声を上げる+。荒野に水が湧き出て,砂漠平原に川が流れる。

 

 

 

 

サーフィンおんぷ

 

 

ありがとう