4月8日は「花まつり」。「花まつり」だからと言っても「お花」の祭りではありません。
 実はお釈迦様のお誕生日なんです。
 お釈迦様、本名ゴータマ・シッダールタは母マーヤが象が出てくる夢を見て目覚めた時に、左の脇の下から(お釈迦様が)「天上天下唯我独尊」(てんじょう・てんが・ゆいが・どくそん 漢字、合ってたっけ?)と言って生まれたそうです。
 つまり、お釈迦様をお祝いする日なんです。
 何故、今日(シマッタ、日付、変わってしまった)このお話をするのかというと、京都の仏教系私立学校は旧暦のこの日に「花まつり」をします。今年は昨日してたんじゃないかなぁ。旧暦じゃないと春休みとかで儀式が成立しないからです。今でもしてるかどうか分かりませんが、お花を各自一本持って行行ってお供えします。2年くらいになると少し賢くなって、学級委員が100円ずつ集めてお花屋さんに行ってまとめ買いして花束にしてもらってお供えしてました。
 ここで、忘れられない想い出話をいたします。
 高校一年の時にお釈迦様が出家するまでの演劇を見るんです。面白そうなもんじゃないことは流れ的に見て感じ取っていますので「だるい」今風に言うと「ウザイ」ってとこかなぁ。だから私語が蔓延してました。役者の方が演劇の前に説明とかされていましたが、完全無視。
 そんな時に「ちょっと、すみません」って大声で後ろの方から何回か言っている校長先生の声がしました。何回目かで一瞬静かになって「すみません、申し訳ありませんが、この子たち何にも知らんのです。だから、もう少し分かりやすく説明してもらえんでしょうか。お願いします。」校長先生の真剣な話し方にさすがに静かになりました。私は「ひょっとして土下座してるんじゃないか」と思ってその姿を見てしまったら怖いような気がして、後ろを見ることが出来ませんでした。1クラス40人で1学年9クラス。大勢の厄介な女子高生を静かにさせた校長先生の迫力はスゴかった。怒鳴ることなく丁寧な話し方で迫力があったのは今まででこの時だけです。
 釈迦族の王子、ゴータマ(確か釈迦族の偉い人ということで、釈尊、お釈迦様と言われていると聞いたような気がします)は旅の途中、病、老、死という人間の悲しみを目の当たりにします。北の方角を旅した時に僧に出会い、家族の反対を押し切って(全てにおいて優秀な王子なので、跡継ぎとして期待されていたのです)出家します。演劇はここまででした。(演劇中、さっきの騒々しさは何だった?って感じでみんな私語なくキチンと最後まで静かにしてました)
 今から思うと仏教のスタートって「苦の科学」じゃないかなぁって。お葬式ぐらいしかご縁のない仏教ですが、本当は立派な学問であることを仏教系私立高校で知りました。ただし、今現在、授業や法話でのお話は殆ど覚えていませんが・・・有り難いお話だったのではないかと思うのですが・・・若い間は何でも話を聞きましょうね。