最終日駆け込めました!
「高田賢三回顧展」
@文化学園服飾博物館。
歴史の中で俯瞰した賢三さんの
功績や素晴らしさは、
多くの人が語っていらっしゃるので、
ここではごく個人的な思い出を、
感傷に浸りながら
書いておこうと思います。
70年代から80年代に
ファッション業界や
ファッション雑誌で
働いていた人にとっては、
デザイナーを超越して、
まるでアイドル、
今風に言えばまるで
神みたいだったKENZO。
ご多聞にもれず、
私も1975年の日大講堂での
ファッションショーを見て以来、
大大大ファンになって
KENZO追っかけが始まります。
それ以前の青学仏文時代には、
パリシックと言えばサンローラン。
特にトレンチコートは
憧れの一品で、
また、
襟に毛皮のついた
ベルト付きカーディガン
ジャケットは
仏文女子の制服のようでしたから、
出版社に入って
ファッション誌に配属された
1週間め、
先輩編集者から言われて、
スカーフを借用しに
初めて「オーム川辺」という
メーカーに一人で行かされた時には、
サンローランのスカーフを
限度枠いっぱいに借りて帰り、
これじゃなくて、
何故KENZOを借りない!?
もう一回やり直し!
と叱られても、
え、何で?と、
まったく分かっていない
ワタクシでした。
泣泣、笑笑。
使えねー新人、と思われたはず。
そこからの一発逆転の
契機となったのが、
あの日大講堂だったのです。
初めてのパリ取材時、
ヴィクトワール広場の
ブティック前で賢三さんを
アポ無し直撃取材したときの
スナップ写真(私とのツーショット)は、
バッチリ、
誌面に載せちゃいました
(1977年か78年)
ペーペー過ぎるうえ、
あまりの人気で
招待状がもらえなかった、
ヴィクトワール広場全体を
テントで覆った
ファッションショーの時は、
怪しげなフランス語を駆使して
「日本でこんなに有名な編集者を
入れないなんてあり得ない」
みたいなことを言って、
チケ無しで
見せてもらったりもしました。
それも何回も!
キャステルだったか、
バンドゥーシュだったか
忘れましたが、
70年代後期に
最もクールだったディスコでの
パーティで、
トップスはタキシード、
ボトムスにジーンズを
合わせていた賢三さんを見て、
今だったら全然普通の
ミックスコーディネートですが、
当時は超超 新しく、
あまりのかっこよさに
惚れ惚れしたことも
ありありと思い出します。
バスチーユの
新居お披露目パーティに
お招きいただいた時は、
パリのど真ん中に
こんな立派な日本家屋、
しかも中にはプール、
巨大なインドの象のオブジェ、、
置いてある美術品の
美意識の高さ、
何もかもに目を見張らせられました。。
FEC
ファッションエディターズクラブ
副代表幹事時代に
KENZOさんに
FEC大賞をお渡しできたのも
懐かしい思い出です。
デザイナーの個人展の時には、
なるべくオマージュとして
そのブランドの服を
着ていくことにしているので、
今回もクローゼットの
奥深く分け入って
KENZOの服を探したのですが、
あーんなにたくさん買って
着ていたにもかかわらず、
見つけられず。
代わりに80年代初頭に
アフリカに同期女子と行った時の
写真が見つかりました。
時期からして
恐らくチャイナルックか
ロシアンルックの時の
花柄プリントでしょう。
ウルムチ・カシュガルなどの
西域の市場でよく見かけた、
原色の花柄のパターン違い
色違いです。
高田賢三回顧展は、
図らずも私自身の
感傷的回顧(懐古?)に
なってしまったようです。
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