超短編! -12ページ目

超短編!

短編小説、中編小説、映画の紹介記事とかを思うままに書きなぐってます

 差し出された名刺は、何だかびしょびしょに濡れていた。
 搾ればボタボタと水が落とせそうだな、と私は思ったが、まさか本当にそうする訳にも行かない。それは失礼というものだ。
 男は多古田康夫と名乗った。
 多古田は痩せた外見に似合わず、次から次へと毛穴という毛穴からだくだくと汗を流し続けていた。季節は夏で、夏のど真ん中で、確かに気温は高かったものの、我々の居るこの部屋の中はばっちりと空調が効いていて、暑苦しさとは無縁の世界に位置しているはずだった。
 しかし、多古田は違った。
 ひっきりなしに流れ出る汗を、ハンカチでは事足りないと自覚しているからなのか、几帳面に折り畳まれた厚めのフェイスタオルで何度も何度も拭っていた。そのうち脱水症状を起こしておもむろにバタリと倒れてしまうのではないだろうかと思われた。
 私は失礼にならない程度の所作を気にしつつも、指先だけでその名刺を受け取った。指先には想像通り、しっとりとした湿り気が感じられた。
 見れば見るほど不思議な光景だった。
 多古田の頭髪は薄く、それを隠すように七三分けが横に流れていた。隣に置かれた鞄の側に軽く折り畳まれた上着には、アイロンがけを怠った感じのごわごわとした凹凸が見られた。ワイシャツは汗でぴったりと肌に張り付き、それによって露になった体のラインは、貧相な肉体を露呈していた。顔には控えめな営業スマイルが九月のクラゲのように漂い、口元は口角が微妙に上がりきらない位置で止まっている。彼の右手には折り畳まれたフェイスタオルが握られてはいたが、軽く搾っただけでも水滴が滴り落ちるのではないかと思った。そして靴が大きい。今はテーブルの下に隠れてしまって見えないが、明らかに本来の足のサイズよりもふたまわり以上大きなサイズを履いている。部屋に入ってくる時に聞いた彼の足音は、水が入ってしまったぶかぶかのゴム長靴のそれと酷似していた。
「暑いですねぇ」
 と多古田は言った。タオルでまた汗を拭った。
 私は自分のこめかみのあたりに流れる汗の存在に気付いた。
 欠伸みたいに、汗も伝染するという事なのか?
 お茶を運んで来た女性職員の梓さんがちらりと多古田に視線を放ち、わずかに躊躇いを見せたあと、テーブルの上に二つの湯呑みを並べた。彼女のこめかみにも一筋の汗が流れていた。二つの湯呑みからは仄かな熱波が感じられた。彼女の躊躇いの原因はこれに違いない。梓さんは普段からとても気のつく女性だ。珍妙な珍客に対してどのような配慮を示すべきか、普段通りにするべきか、敢えて冷たいお茶を用意すべきか迷ったに違いない。何かしらの思考的混乱を迎えたあと、いつも通りのあったかいお茶が出て来たという所だろう。
「今年の夏は、猛暑と言われてますからねえ」
 と私は多古田の言葉を受けて言った。
「それで、今日はどう言ったご用件で?」
「ええ。単刀直入に申しまして、弊社の空調設備のご購入を検討いただきたく、参りました。実はさる筋の方からお話を伺いまして、どうもこちらのビルで耐用年数を大幅に越えてしまった設備を一斉に新調しようと言うご計画がおありだとか」
「それは事実ですが、いったい誰からその話を?」
「○○ビルのオーナーである新城さんです」
 多古田の出した名前は私の知人だった。確かに面識はあるが、狡猾を人生訓としているような男で、あまり関わり合いを持たないようにしている為、親しい訳ではない。だが、町内会の会合の席で、設備投資についての話を確かに交わした記憶がある。あの男の事だ。この不可解な汗まみれの男を前にして、体のいい厄介払いを押し付けたに違いない。不必要なまでに警戒心の強い男なのだ。不可思議なものは追い返せ、とでも思ったか。
「なるほど。それで、空調設備について、とおっしゃいましたが、具体的には?」
「弊社で開発致しました、これまでのものとは全く異なる技術を使ったエアコンです」
 そう言って、多古田はまたタオルで汗を拭った。
 私は幻惑されたような気分になった。訳も無く汗を流し続けるような男がエアコンの営業をしているのだ。何かの間違いじゃないのか?
「弊社はまだまだ業界では弱小企業と言わざるを得ません。しかしながら社員一同一丸となって地道な開発研究を辛抱強く続けて参りました。そしてこの度、絶対の自信を持ってお客様にお勧めできる商品の開発に成功したのです」
 そこで多古田は一度話を切って、テーブルの上のお茶に手を伸ばした。そしてぐっと力を込めて熱いお茶をのどに通した。
「これはおいしいお茶ですね。私どもの会社もこのような良いお茶を常に用意しておきたいものです。それに熱い。熱いお茶は好きなんです。でもどこへ行っても冷たいお茶が出てくるんです。まあ、仕方の無い事かもしれませんが。いやあ、熱い。これはいい」
 そう言いながら多古田は湯呑みを空にした。
 もう、こっちは見ているだけで暑い。
「多古田さん、お話は分かります。御社も大変な苦労をされて新製品の開発に漕ぎ着けられたのでしょう。しかし、こういっては何ですが、それは他の企業でも同じ事ではありませんか? 大手でも、弱小でも、同じ事でしょう。それに、確かに最近のエアコンは様々な新しい技術や便利な機能などが付加されていて、それが製品の魅力でもある。しかしですね、嫌なことを言ってしまうかもしれませんが、そう言ったものは私にとってはさほど重要じゃないんです。私にとって重要な事は、私のビルではたらく人々の健康を守れること。そして快適な労働環境を提供できる事です。付加価値はさほど重要じゃないんです。そりゃあ、目新しいものは、話題の種にはなりますがね」
 私はなるべくやわらかい語調になるよう意識して話した。多古田の得体の知れなさが、私にそうさせていた。私はお茶のお代わりを梓さんに頼んだ。彼女は即座に行動に移った。
「おっしゃられる事はよくわかります」
 と多古田は言った。
「よくわかります」
 何度も頷きながら、多古田は自分の言葉を繰り返した。そして新しく注がれたお茶の入った湯呑みを手に取り、両手で包むようにして、その中の小さな水面をじっと見つめていた。
 私は多古田の言葉を待ってみたが、なかなかその後は続かなかった。お茶の水面に映し出された自分の過去の記憶を振り返っているかのように、彼は深い深い沈黙の海に沈んでしまっていた。
 後になって考えてみれば、それは多古田の戦略だったのかもしれない。きっと彼は私が話しだすのを待っていたのだ。
 私は沈黙に業を煮やして口を開いた。
「では、私の話をふまえた上で、御社の製品を購入する事で得られるメリットとは、何ですか? 他社製品に比べて、御社の製品が優れている点とは、何ですか?」
 私がそう聞くと、多古田はお茶に口を付ける事無く湯呑みをテーブルに戻し、背筋を伸ばした。
「私の汗が止まります」
 と多古田は言った。
 その言葉の後には形容のし難い沈黙が続いた。
 その静寂がその場の全員の体に深々と染み渡った頃、私は思わず
「嘘でしょう?」
 と言っていた。果てしなく失礼な発言であるにも拘らず。
「お気持ちは分かりますが、ほんとうです。弊社の開発したエアコンが効いている部屋の中でだけ、私のこの止めどない汗は止まるのです。と言うより、我が社の製品は、それを目的として、いや、目標として開発されたのです」
「それは……はあ、なるほどと言うか、いやあ」
 私はどう応えて良いものか分からなくなってしまっていた。思わず梓さんの方を振り返ってみたが、彼女は真剣なまなざしで虚空を睨みつけていた。
 私は気を取り直して多古田に聞いた。
「あの、御社で開発された技術とは、いったいどのようなものなのですか? さしさわり無ければ聞かせていただきたいのですが」
「もちろんです。ただ、企業秘密に関わる部分の詳細についてはお話し致しかねます。どちらにしろその辺はえらく専門的な部分なので、わたしもよくわからんのですが、大雑把に言うと、波動です」
「波動」
「はい。波動です。波です」
「波動が?」
「話すと長くなりますが、どうやら私のこの体質は、私の体内に流れる特殊な波動によるものらしいのです。これは様々な研究機関が私の体をいじくり回した結果、分かった事です。非常に信用の於ける機関です。これはまず間違いありません。
 しかしながら、その原因は何かとなると、分からない。これは誰にも分からなかった。一応、突然変異ではないか、と言う事で結論とされていますが、そんなもの、何も解決してくれはしません。研究が行き詰まりを見せた頃、一部の研究者達が集まって、実際的な問題の解決について動き出したのです。つまり、私の汗の出る原因を突き止める研究から、私の汗を止める研究にシフトしていったのです」
 その後の話を要約すると(多古田の話は分かりやすかったが、いささか冗長に過ぎたし何より本当に長かった)、どうやらその汗を止めようと言う技術が一般的に言っても体内の代謝機能や体温調節やその他もろもろの健康環境に好影響をもたらす事が分かり、それならいっそ製品化してしまおうと言う流れになったらしい。つまるところのその技術の鍵となっているのが
「波動なのです」
 と言う事だ。
「世界は波動に満ちています。以前は完全な無と考えられていた真空の中にさえ、波動は存在します。まして、我々人類が生活するこの地上ではなおさらです。ミクロの視点で見れば、我々人類は止めどない激流の中を生きているのです。
 私は偶然にもその影響を強く受けてしまう体を持ってこの世界に産み落とされました。この体を忌み嫌った事もありますが、この体が新しい技術を導く鍵にもなったのです。私は、今は、それを誇りに思えます。これが私の使命だったのだとさえ思う事ができます。
 今、世界中で多くの波動研究がなされています。様々な分野、様々な視点、様々な対象……この世界は膨大です。まだまだ未開の地が膨大に広がっていて、その分可能性も無限にあると言えますが、そこで何かを手にしたものはまだまだ一握りです。そう言う世界なのです。
 そして、我が社はその一端をコントロールする術を手にしています。一握りにも満たない、ひとつまみ程度かもしれない。しかし、大きな一歩を先に歩いています。どうですか。我々と一緒に、未来の先端に、立ってみようとは思いませんか?」
 多古田がそう言って話を終えたとき、私はすでに言葉を失っていた。発言すべき何ごとも思いつかなかった。

 後日、実際に多古田の会社を訪れて、その新技術を採用したエアコンの効いた部屋の中で暫くのあいだ多古田と話をした。
 確かに、その部屋の中で彼の汗は見る見る間に退いていった。多古田はそこで「ちょっと失礼」と言って仕切りの向こうに姿を隠し、乾いたスーツに着替えて出て来た。靴もぴったりとしたサイズに替えていた。汗をかいていない多古田は、どう見ても普通のサラリーマンにしか見えなかった。

 そして私は今、自分のオフィスのデスクで考えている。
 一応回答を保留にさせてもらった上で預かった契約書を目の前に置き、判子を押すべきかどうか躊躇っている。
 何だか大掛かりなペテンにかかっているような気分が、どうしても消えてくれないのだ。



ひとつポチッとよろしくお願いします!

にほんブログ村 小説ブログ 短編小説へ
にほんブログ村
写真家 亜沙美 さんとのコラボレーションブログを作りました。

ブログタイトルは

『Curry』

です!

写真:亜沙美
文・編集:cokoly

こちらもお楽しみ下さい。






ひとつポチッとよろしくお願いします!

にほんブログ村 小説ブログ 短編小説へ
にほんブログ村
〈5からつづく〉


 何だかよく解らないまま、僕は先輩と一緒にメインリフトが貫くビッグシリンダの中を伝って、会社の営業事務所があるフロアまで飛ぶことにした。
 ステーション内の貨物船用ドックは、全てこのビッグシリンダに直結している。巨大な円筒の内側では様々な大きさのコンテナや人間が混在していて、一見すると混乱の極みだが、そこはしっかり管制局がモニタリングしていて、無意味な停滞や衝突などの事故が起きないように常に目を光らせている。
 といってもその管理はあくまで貨物の為なので、顔なじみの僕らが内壁沿いを大人しく飛んでいるくらいでは文句をつけては来ない。そこら辺の融通が効くのは、ありがたい。
 シリンダの中はおおまかに言って下の三分の二がドック用、上の残りがオフィス用のスペースとして割り当てられている。上、下、と言ってもここは無重力空間なので、便宜的にオフィス側を上と言っているに過ぎない。ウツツトライカのドックは全体の半分くらいの所にあって、比較的オフィスが近いので、悪くない位置だ。オフィスエリアの辺りになるとシリンダの内壁にぽこぽこと穴が開いていて、その一つ一つがオフィスに通じる通路への出入口になっている。取りあえず僕らが向こうのはそっちの方角。
「先輩、僕らに客なんて、心当たりありますか?」
「いんやー、まるでわかんね」
 僕らが頭をひねり首を傾げながら飛んでいると、像が一匹入りそうなくらいの巨大コンテナをリフトに引っかけて運んでいたトーマスルトが声をかけてきた。彼の会社は周辺地域の大型貨物が専門で、時空間移動の仕事はやらない。
「よう、次元屋」
「久しぶりだな、トーマスルト」
 トーマスルトはバディにコンテナを預けて、こっちに寄ってきた。
「久しぶりって、一昨日会ったばっかじゃねえか」
「こっちは二ヶ月経ってんだよ」
「ああそうかい。せいぜい早死に目指してな。それはそうと、お前ら、何やらかしたんだ?」
「何の話だ?」
「トポロの時空間航運規定保安監査局から、お使いが来てるって話だぜ」
「えっ」
 先輩はあからさまに表情を曇らせた。逃げ切ったはずの女から、携帯に物凄い長文のメールが送られてきた時の表情に似ていた。
 トポロとはトポロジクス社の略であり、時空間航運規定保安監査局というのは、読んで字の如く。ワームルート内で時空間ドライバーに課せられている交通規則や貨物規制を管理、監督する一切の権限を担っている、云わば陸運局だ。ルート公団から全面的な業務委託を受けていて、違反者への罰則権限すら持ち合わせている。巨大になり過ぎた私設警察組織だという見方もあるくらいで、そのお使いという事は、僕らに何らかの規則違反の疑いがかけられている可能性が大きい。嫌が応にも【シュレーディンガーの化け猫】に遭遇した一連の出来事が思い出される。
「フカシじゃねえだろうな。マジでか?」
 冗談であって欲しい。僕もそう思う。
「はっ。その顔が見たかったんだ。後で全部聞かせろよ」
 トーマスルトは先輩の肩を軽く小突いて、楽しそうに手を振りながら、自分のコンテナの方へと飛んでいった。
 僕と先輩はお互い顔を見合わせて、それから控えめな溜息をつく。
 しばらく、事務所に繋がる通路の入口まで、無言で流れていく。
「ギンミ」
 入口の手前で先輩が言った。
「はい」
「先方とは俺が話す。お前は余計な事は話さなくていいからな」
「でも」
「まだ何の用事なのか正確に解った訳じゃない。少なくとも、それがわかるまでは喋るなよ」
「……わかりました」
 いつもと違って先輩の口調には断固としたものがあった。先輩がそんな雰囲気を見せたのは初めての事なので、僕はそれ以上何も言わない事にした。先輩の緊張が僕にまで伝わってくるようだった。
 入口の所で、先行していた先輩が一旦停止して、僕の顔を見た。
「ま、心配すんなって。大した事にはならんだろ」
 先輩はそう言って、事務所へ向かう通路に自分の体を送り込んだ。
 この人に気を遣われると、何故だか不安が増すから不思議だ。

 事務所の前まで来ると、ボスがドアの外まで出てきて、僕らを待っていた。
「遅えよ。ジャンク」
 僕らがボスの前に着地するなり、ボスは言った。「遅い」と言うのはボスの口癖みたいなもので、取りあえず文句をつける習性があるみたいだ。
「これ以上早く来れねえよ」
 先輩も負けずに言い返す。この二人の会話は何故か口喧嘩みたいに進んでいく。
 せっかくだからこの際ついでに説明してしまうが、ジャンクと言うのは先輩の事だが先輩の本当の名前ではない。正確には湯川ジャンクラウスアウグストルシアンと言うらしい。何でそんな長ったらしい名前になったかと言うと、先輩が自ら語った話が本当なら、『おそらくこいつが父親』と思われる四人の名前を全部繋げてしまったからだ。先輩の母親はその四人の誰にも認知を求めず、女手一つで彼を育て上げたらしいが、この話だけでも、なんか色々あったんだろうな、とか、お母さんどんなキャラなんだ、とか思わずにはいられない。
 背景をあれこれと考えてしまって、僕はまだ一度も先輩の名前をまともに呼ぶ事が出来ず、先輩、先輩とばかり呼んでいるのだ。
「お使いが来てるんだって? 途中でトーマスルトに聞いたぜ」
 先輩が先手を取ってボスに聞く。
「馬鹿、エージェントって言え。中に聞こえるだろうが。お前ら、何かやったのか?」
「何だ? まだ用件聞いてねえのかよ」
「さっき来たばっかりなんだよ。せっかくだからみんな揃ってから話しましょうとか言っててな……着艇時間まで把握して来たみたいだぞ」
「準備万端って訳か」
「心当たりはあんのか? 事業免許取消しなんかごめんだぞ」
 先輩はボスの話を聞きながらドアの方を見ていたが、
「せっかくだから中で話そうぜ」
 と言ってボスの横をすり抜けた。ドアの前で深呼吸をひとつ。不必要なくらいに胸を張って事務所の中に入っていく。
 ボスがそれに続き、僕も最後に中に入った。

 事務所の中に入ると、今度はボスの先導で来客ルームへと向かう。来客ルームと言っても、入口の目の前にあるカウンターの脇を抜けて衝立一枚向こうと言うだけの狭い場所だ。
 ライトグレーのパーテションの壁に囲まれた四畳半ほどのスペースに、テーブルが一つ。その奥の席にベージュのスーツに身を包んだエージェントがいた。エージェントは僕らを見ると立ち上がって感じのいい笑顔を見せた。
 ボスは僕らを促して少し前に出させた。
「お待たせしました。湯川ジャンクラウスアー……シャーと轟吟味です」
 先輩は苦笑いと若干の非難を込めた視線をボスの横顔に投げつけた。いつもなら「ちゃんと言え!」とでも突っ込んでる所だ。
 それにしても……
 僕は立ち上がったエージェントの姿をじっと眺めた。
 エージェントと聞いて想像していたイメージと、随分かけ離れている。
 エージェントの方も僕の視線に気付いて
「意外でしたか?」
 と聞いてきた。
「はい、なんて言うか、もっと役人っぽい人が来るかと思ってました」
「おい。ギンミ、失礼だろ」
「いいんです。率直な反応だと思いますから」
「すみません」
 何故だろう。
 目が離せない。
 エージェントはテーブルに置いていた携帯電話を手に取った。
 僕らも合わせて自分たちの携帯を取りだす。
 テーブルの上の空間で各々の携帯を近づけて、ネームカードデータを交換する。
「朧ユカマリと申します。正真正銘、監査局のエージェントですよ」
 カードのデータには十九歳とある。僕と一つしか変わらない。
 背は僕よりも頭一つ分くらい低い。肩に落ちた髪の毛先には少しウェーブが掛かっている。スカートの丈も短くて、全体的に可愛い雰囲気。と言うか、普通に可愛い。
 気付くと、ユカマリの大きな目が僕を見ていた。視線ががっちり噛み合って、そこから離せなくなった。
 え、と。俺、今何してるんだっけ?
「どうぞお座り下さい」
 ボスがユカマリにそう告げて、それをきっかけに全員が席に着いた。
 全員が落ち着いた頃合いを見計らって、ユカマリが口を開いた。
「単刀直入に伺いますが、お二人は確率振動に巻き込まれましたね?」
「何の話ですか?」
 先輩は素っとぼけて見せた。ユカマリは笑顔を崩さず言葉を続けた。
「先にお伝えしておきますが、調べはついてるんです。その辺りは甘く見ないで下さい。話を早く進める為にも、隠し事は無しでお願いします。大丈夫。悪い話ではないはずですから」
 最後の一言に、ボスも先輩も僅かに眉をひそめた。僕はユカマリの話す姿をじっと見ていた。
「本来、今回のお二人の行動は『時空間制御の安定に関わる規制事項』に抵触するものになります。厳密に言えば、『歴史干渉に強い関わりを持ったかもしれない可能性』を報告する義務を果たしていない」
「歴史保存推奨の原則にも関わる事ですか?」
 ボスが聞く。
「今回に関してはそれは関係ありません。タイムトラベラー全ての行動を監視するなんて不可能ですし、最終的には個々人のモラルに期待するしかない事です。この件での問題は純粋に技術的な影響についてです」
「技術的な影響?」
「ええ。ワームルートの演算制御に関わる前提条件への介入が問題なのです。【シュレーディンガーの化け猫】は虚数空間の三次元的現れであると言う事が予想されています。あなたはそこに生身で関わり、生きて帰ってきた」
「でも僕は、確率フレアの雷に撃たれただけですよ」
 僕は思わず言い返していた。先輩に横からじろりと睨まれる。
「それだけでも十分なんです。前例はありますが、どれも死亡、重症、意識不明などに陥っています。でもあなたは何ともなくここまで戻ってきた。それはそれで驚きなのですが、わが社としては先ほども申し上げました通り、技術的な面での成果に注目しているのです」
「……成果とは?」
「虚数空間の影響を受けた人間がロジックフレームの内側に存在し、何の問題もなく時空間ドライブを果たした、と言う成果です。わが社はこの点に非常に注目しているのです。より安全な時空間ドライブへの、さらなる技術開発の可能性が秘められています。そこで」
 我々は息を飲んだ。彼女がやってきた本当の意図がこれから語られるのだと言うのが分かったからだ。
「今回の規則違反を見逃す代わりに、生体サンプルのデータ採集にご協力下さい」
「……要するに、人間モルモットですか?」
 僕は聞いた。
「はい。もっと言えば人体実験です。危険はありません。やる事はただの観察です。断ったら事業免許取消です」
「了解しました」
 ボスが即答した。
 いや待て、これは僕の話じゃないのか?
「決まりですね。ではここに判を押して下さい」
 ユカマリは用意していた書類をさっとボスの前に差し出した。
 ボスはポケットからハンコを出して即座に捺印した。
 一言も発する間もなく、事態は進んでしまった。
 呆気にとられた僕を見て、ユカマリが言う。
「データ採集に当たっては、私が直接担当します。こう見えても、腕は確かだから安心して下さい」
「僕は何をすれば?」
「普通に仕事してて下さい」
「あなたは何をするんですか?」
「しばらくはずっと同行します」
 先輩が口笛を鳴らした。
 もうすっかり安心を通り越して、余裕の表情である。
(それは悪くない)
 と、僕も内心そう思った。

 事務所前、去り際にユカマリが握手を求めてきた。
「これからよろしく。歳も近いし、仲良くやりましょう」
 僕はユカマリの手を取った。その手のぬくもりが、何故だか僕の手にぴったりと収まるように感じられた。
「あの、さっきから思ってたんだけど」
「ハイ。何でしょう」
「どこかで会った事ありませんか?」
 僕がそう言うと、ユカマリは無心な表情になって、僕の顔をじぃっと見た。
 手は握ったまま。
「……それって、ナンパ?」
「いや、そういうんじゃないけど」
「ふうん」
 ユカマリはそう言うと、ちょっと考える仕草をして、それから
「どうかしらね」
 と流し目で一瞥、繋いでいた手を解き、僕に背を向け、通路の向こうに跳んでいった。


〈おわり〉



ひとつポチッとよろしくお願いします!

にほんブログ村 小説ブログ 短編小説へ
にほんブログ村