豊臣から徳川の世へ
(なかには意図せずに)
貢献した滋賀県長浜市出身の
三人の武将の話です
三成さんも長浜出身ですけど
脇坂安治、田中吉政、片桐且元
以前にも書いたことのある
この3人ですが
それぞれ長浜市内の
こんなに近い地の出身です
田中吉政さんの出生地に関しては
宮部町か三川町あたり
(滋賀県高島市の説もありますが)
脇坂安治さんは
賤ヶ岳の七本槍の一人
関ヶ原の戦いで小早川秀秋と共に
東軍に寝返った人
田中吉政さんは東軍で
関ヶ原の戦い後に
三成の佐和山城を攻めたり
逃げて再起をはかろうとした
三成を捕らえた人
(家臣が捕らえたのですが)
その際
三成に対して丁重に扱ったという話が
残っています
片桐且元さんは
この人も賤ヶ岳の七本槍の一人で
「真田丸」では小林隆さんが演じ
特に存在感ありましたが
今回も胃が痛くなる系の且元さんでしたね
豊臣と徳川の橋渡しとして奔走するも
忠誠をつくした豊臣家に裏切られて
徳川側についた人
この人の動きで
豊臣家の結末が大きく左右されたとも
言えなくはない
というお方です
脇坂さんは戦さの前から
東軍につく気でいたようですが
でももし
脇坂さんが小早川勢に呼応せず
大谷吉継らと西軍として戦っていたら
もし
田中吉政さんが
三成さんを見つけ出さずにいたら
もし
片桐且元さんが
豊臣側にずっとついていたら
歴史に「もし」なんて言っていたら
キリないけど
徳川の天下は
もう少し後になっていたかも
と思ったりします
(今週は月曜に観れたど家)
それにしてもいまだかつてない
好感度大の信雄さん
戦さで決着をつけるなど
悪しき風習を
家康さんの時代で
終わらせようとした
そこに
徳川家康の偉大さが
あるわけで
秀忠さん、父をわかってあげて
って
去年もそんなような事を書いていたような
史実と色々乖離しようとも
まあ上手く着地したなと
↑まだ終わってないけど
おまけのまりさん