ドラマの感想ではなくて
ただ
うんちくを言いたいだけに

なっている

先日の米原市醒井の写真の中の一枚
醒井延命地蔵尊の説明板
慶長13年は1608年ですが
ここに「濃州大垣の城主石川日向守」
と書かれています
この時代「石川」という名字
なんとなく関連がわかるかと思いますが
実はこの石川日向守は
あの石川数正さんの叔父にあたる
石川家成さんです
しかもこの方の母上は
於大の方の姉上
つまり家康さんのいとこなんですね
数正さんの方が有名ですが
家成さんは石川家を継ぎ
家康さんの有能な家臣でありました
説明板にもあるように
この当時はニ代大垣藩主でした
数正さんの年齢から思うと
その叔父さんがこの時代に藩主とは
当時としてはかなりのご高齢
70代半ばの家成さんが藩主になった経緯は
自分の息子康通さんが初代大垣藩主になったけど
家成さんより先にお亡くなりになり
そしてその息子はまだ若かったため
とうの昔に隠居していた家成さんが返り咲き
藩主になったわけです
ご高齢の家成さんは
前年に息子さんを亡くし
こういった霊験あらたかなお地蔵さまを
より丁重に扱われたのかもしれません
ご自身は地蔵堂を建立した翌年に
亡くなられています
おまけのまりさん
このまん丸なお顔は何
こうやって撮れば