本当は終戦記念日に合わせて
書こうとしたものです![]()
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一時期
母方のほうの親族と
一緒に住んでいたことがあって
父方の実家は山の近くで
戦時中の被害は無かったみたいだけど
母方の実家は空襲にあったようで
そこの親族と一緒に暮らしていると
やたら戦時中の用語が出てきて
ずっと「しょうゆだん」だと思っていたけど
ご飯を要求する犬が
ひゅーーみたいな声を出すと
焼夷弾が落ちてったと言うし
近所の工場が定時のサイレンではなく
近くの火事や増水などでサイレンを鳴らすのを
空襲警報が鳴っとると言うし
犬が穴を掘っていると
防空壕つくっとるかと言い
浴衣着て盆踊りしている女性たちを
国防婦人会と呼び
多分節電のことを灯火管制と言い
子どものころから
そんな言葉を聞いていた
ずいぶん後になって
正確な言葉と意味を知った
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戦争の悲惨さを後世に伝えようという
どのくらいの意識があったのか
よくわからないけど
子供ごころには
行き先間違えたバスに乗った話や
同じ道を何回も回った
キツネにだまされた?話などと同じく
面白いエピソードを
話してくれているようにしか
聞こえなかった![]()
実際は辛い体験だったろうけど
何回か聞いたのは
勤め先の工場で同僚が
外へ洗濯物?を干しに行ったら
飛行機が低いところまで降りてきて
だだだだだっと撃っていって
自分は工場の中におったけど
窓ガラスが割れて
という話で
機銃掃射にあったんだろうけど
その同僚はどうなったんだろう?
そもそも警戒警報や空襲警報は
鳴らなかったのか?
今から思えば
詳しく聞いておけば良かったけど
なにぶん小さい頃の私が聞いているので![]()
空襲の話は
皆で布団の四隅を持って
火の粉がかからぬように逃げて
終わって帰る途中の町並みが
割と無事で
自宅も大丈夫やねと言っていたら
自宅横に爆弾の落ちた大きな穴が出来て
家は燃えてしまっていたと
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今
#あちこちのすずさんとか
戦争体験談を募集という記事を
見かけるけど
本当にあれこれしっかりと
聞いておいたら良かったな
と思う![]()
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おまけの
まりさん
夏は朝早い時間だけ外にいるけど
まりさんの以前の夏
のお楽しみは
近所の子がラジオ体操に行くのに
あわてて走っていく
のを
眺める事だったけど
コロナでここ三年ラジオ体操無いし
来年あったとしても
もうその子も中学生で
あの頃みたいに走っていく事もないだろうし
まりさんちょっと残念だね
蚊遣器↑はちゃんと一緒

