関ヶ原の戦いのあった日に合わせて
色々書こうとしてなかなか書けなかったのに
古戦場記念館に行ったら
一気に火がつきました

これ以降関ヶ原の戦い関連ネタが
(大した話題ではありませんが)
怒涛のように数日続きます
興味ない方は文末の
「おまけの
まりさん」だけでも

見てやってください













第1回 田中吉政と近江
今日は記念館南西にある陣跡の
田中吉政さんについてです
世間的には
あまり有名な武将ではありませんが
柳川藩主となっているので
福岡の人たちには馴染みある方だし
また
三成ファンの人からすると
聞き慣れた人物だと思います
関ヶ原の戦いに敗れた三成さんは
伊吹山周辺を彷徨った後
近江に土地勘のある吉政さんの
その家臣によって
捕らわれの身になったんですね
捕らわれた際のエピソードが
諸説残っていますが
おそらく
同じ秀吉の家臣であった三成さんに対して
礼を尽くした対応をしたと思われ
三成さんは名刀石田貞宗を
吉政さんに託したと言われています
ところで
吉政さんは何故近江の地について詳しいのか
という事ですが
この時代の人なので
出身地に諸説あったりしますが
滋賀県長浜市の
鉄砲の里で有名な国友の北にある
宮部の出ではないかと言われています
また吉政さんは
豊臣秀次の家老となり
秀次が近江八幡を治めていた当時には
八幡堀の建造にも関わったと思われます
それにしても
秀次の家老だったのに
よく生き残っていたと思いますが
秀次自害の際に
お咎め無しで済んだようですね
関ヶ原の戦いの吉政さんの陣地は
南西に福島正則、後ろに井伊直政
真正面は西軍の宇喜多秀家の大軍勢
激戦地であったと思います
戦い後は佐和山城落城にも加わり
それらの功績もあって
柳川藩主になっています
知名度はさほど無いですが
実力のあった武将
だったと思います










おまけの
まりさん

昨日お出かけで疲れたのか
まだ夕方6時頃なのに
ベッドで爆睡するまりさん

案の定
夜中に目が覚めてしまい
さあサークルから出しなさいと
(夜は扉が閉めてある)
薄暗い中訴えていました
