昨日は


(昨晩出そうとして寝落ちした
)

織田信長、信忠父子の
それぞれの居城であった
安土城と岐阜城のその後について
安土城は燃えて
岐阜城は残っていた
と簡単には理解していたけど
もう少し調べてみました











安土城は本能寺の変の数日後
炎上してしまう訳ですが
本能寺の変当時
安土城には留守居役として
蒲生賢秀がいたようです
また出てきた蒲生姓
ですが

この方は本家の蒲生さん
蒲生氏郷のお父さんで
安土城にいた織田家の人たちを
自分の居城日野城(滋賀県蒲生郡日野町)に
連れていったようです
また安土城はその時
完全に燃え落ちたかと思ったら
一部残っていて(二の丸など)
廃城となったのは
2〜3年後のようです
で


なんですが
真相は謎みたいです
伊賀攻めで
はねっかえりなイメージのある
信長の次男信雄の説もありますが
誰だったんでしょうね










一方の信忠の居城だった岐阜城は
誰も火をつけることなく

清洲会議で
弟の信孝が引き継ぐことになりました
そして
関ヶ原の戦いの翌年に
廃城になったそうです
戦国時代なら
お城はいくつかの悲劇の舞台になっても
おかしくはないし
武将も
なかなかお布団の中では
死ねないでしょうが
岐阜城の城主になった武将は
悲劇の武将が多いように思えます
信長の孫秀信の時代には
関ヶ原の戦い前哨戦で落城し
多くの女中たちが
お城の北側の御手洗池に投身したとの
伝説が残っています
この池にいるカジカは
女中たちの生まれ変わりで
カジカの鳴き声は
女中たちの悲しい泣き声と
聞いたことがあります
岐阜城の話はまた後日

それにしても
あの安土城の天主が燃えてしまった
のは

重ね重ねもったいないなーと思います
いずれは廃城にはなったのでしょうが
燃えずに廃城となれば
いくつかの遺構が
なんらかの形で残ったかもしれないのに
でも信長さんは
自分の遺体を残したくなかったように
安土城も
親族以外の誰の手にも
渡したくなかったかもしれませんが











ちなみに
まりさんは

遠くからですが
どちらの城も制覇しています

桜の向こうに見えているのが
安土城址の安土山です











おまけの
まりさん

たぬきのようなものが
