歴史の(私
が勝手に思う)疑問点を

ネットで調べるシリーズ
(いつからシリーズ?)です

前回(あれが初回?)のお話の
池田恒興のお墓のあった
岐阜県揖斐郡池田町から
南の方へ向かうと
杭瀬川という川に出会います
国道417号線は
一部杭瀬川と並行するように
走っていています
杭瀬川といえば「杭瀬川の戦い」
関ヶ原の戦いの前哨戦のうち
一番最後の
関ヶ原の戦いの前日に行われた戦いです
さてこの杭瀬川のどのあたりで
戦さが行われたのか
疑問に思って調べることにしました
関ヶ原の戦いの前日
三成率いる西軍は大垣城に
一方家康の東軍は
大垣市北西部の岡山に
陣をとっていました
両者の距離は数キロですが
普通に対決するなら
その中間点?
姉川古戦場みたいに
史跡がないのかなーと思って
Google Mapさんで杭瀬川の戦いと検索したら
なーんだ、あるじゃん
ちゃんと杭瀬川の戦い古戦場跡が
しかもさっきの予想円内
でもさらに調べると
そこにある日吉神社あたりが
古戦場跡かな?っていうくらいの
どうも推定地のようです
西軍側は島左近と
明石掃部、蒲生備中らの軍勢が
東軍を奇襲したので
もう少し広範囲の場所が
戦さ場だっただろうし
また
当時と川筋が変わっている可能性があるので
特定は出来ないようです
で
あっさり解決しました
次回予告
まさか二人いたとは
という話をします
おまけのまりさん
クッションをカスタマイズして
使用するまりさん
それで良ければそのままでいいですけど
おまけの割るタイプ
サントリーのTEA BASE
ちまたでは
店員さんが書いた?
家族が書いた?
と誤解されるキャップの但し書き?
ホントになんでこの
手書き風のフォントにしたんだろう?
今このカフェベースや
クラフトボスで
ねこねこ食パンが当たるという
キャンペーン中なので
買いました