ちわ

うっちーとたまに呼ばれる人です。



ぼくには兄貴が二人もいて、二人はスクールフレンズにうっちーフレンズと呼ばれていたフレンズなのですが、ぼくはその傾向はあまりなく「うっちーの弟」と呼ばれることが主でした。ぼくも一応「うっちー」とやらの血族なのでその呼ばれ方には多少の違和感がありましたとさ。そのへんの翁がそんなこと話してっけ。


そして、兄貴のフレンズが怖いのなんのって。唇を交わした日にママの顔を見れないようなそんなかわいいもんじゃないんですね。ときにぼくがコンビニの前でまったりとおじゃるまるタイムを過ごしていると目の前に黒塗りの奥行き3Dの車が止まると思うと紫外線から目を守る漆黒のサングラスをした男が現れて「おっ、うっちーの弟じゃーん!」とか言われるわけです。ぼくもべつに相手が知らない人ではないんで「あ、こんちわーす」とか言うわけなんですけど。たまに兄貴が謎に生徒会長なんぞやってたことを恨むこともありました。あ、生徒会長やってたんですよ兄貴。




そんなこんなで


たまこー▷総監督
内田宏武です。




2回目の投稿てなわけで、心の奥を掘り下げた話でもしようかなんて思うわけです。





ぼくは創作においてとっても己のモチベーション的土台を大事にしてるのですが。そこの一点だけはとても自分ではコントロールのできる部分ではなく、なにかしらのエンジンがかからない限り頭は回ってはくれずさながら引きこもりのように家で天井を眺め続けるのです。ぼくは普段のぼくと創作にはげむぼくはまったくの別人物だと思いこんでいるのです(あえてそう言っておきます)。ぼくは無駄にヒーローに憧れ気質があるからかわからないですが、ぼくが創作に力を入れるときは大半が「誰かのため」なのです。たとえば知り合いがなにか落ち込むようなことが起きた、だから楽しんでほしい。たとえば何かの希望を諦めた人がいた、だから一緒にチャレンジごとに巻き込む。そんな善を偽ったような善心から創作というものがスタートするのです。






そんなぼくがある葛藤に苦しめられたのは大学を卒業してからのことです。





世界とは広く、狭く、広かったのですね。目的意識が一点に集合することが出来なくなったのです。ぼくは社会とか大人とか、そんなものはただの言葉だと思っていて。酒を飲んでは他人にその言葉の研究成果を披露するほどの関心意欲を持ち合わせてはいないのです。ですが、ぼくはあろうことかただっ広い砂漠のど真ん中で四肢を自ら拘束をした上で奇跡を待つだけの一本松だったのです。「なにか」が起きない限りぼくは創作に手をつけることは出来ないと、そう思いこんでいたのです。周りをキョロキョロと見渡して弱った人間を見つけないと自分の価値を見出せないピエロだったのです。自分は本当はすごいのだと、才能の塊なのだと、しかしこの天才がくすぶっているのは「お前たちのせい」だと砂漠の砂の一粒一粒を睨み続けていたのです。


「普通の人間になりたい」などと、そんな生意気な踊りも踊っていました。どうかぼくを殴ってやってください。心にダメージなんてどうでもいいのです。大きめの外傷をこのくそ野郎に負わせてやってください。

ここまで語り明かしておきながらどこまでお前はと言われても仕方があるまいなのですが、ぼくは「自分を許してやる」ことにしました。これまでのことを全て無しにするというわけではないのです。過去現在未来その全てをひとまとめにしたのがこの内田宏武でこの身体でこの心臓で心の臓なのです。ぼくはなにを目指していたのか、どんな人間になりたいのか、机で楽しそうにノートにお絵描きをする子供のころの自分の隣に座ってそう質問を投げかけてみました。彼はなにも答えてはくれませんでした。ただ楽しそうに、ただ嬉しそうに鉛筆だこをもろともせず希望を握りしめていました。


ぼくは人に刃物をむけて「弱った人間」を仕立てあげていただけだったのです。


ペンは剣よりも強しとはよく言ったもんですが。
無垢な彼はぼくにそのペンをむけることすらしませんでした。完全敗北です。


なのでという繋がりはないのですが、ぼくは自分を許してあげちゃいます。許すも許さんも、きっと彼には興味ないのですから。



ここまで物語を書いてしまうと、どうにか最後はいい方向に持っていきたいとこなのですがあくまでこれはプロローグでオープニングでイントロダクションで前書きなので、このへんでおいとまいたします。



私ごとで大変恐縮なのですが、本日は久しぶりに実家に帰るのでこの間テレビでやってた美味しそうな洋菓子でも買って帰ります。







ただいま。