2000年 アンブレイカブル 

監督:M・ナイト・シャマラン 俳優:ブルース・ウィルス サミュエル・ジャクソン

マビノギの課金が今日切れたのでこれからはネタに何を書いていこうか迷いましたが、ブログはもともと日記みたいなものだし日々感じたことでも書いていこうかと思います。


テレビでシャマラン監督の作品のアンブレイカブルを観ました。

それほど新しい映画ではないし、簡単に内容を説明すると主人公のブルース・ウィルスはかつて多くの事故に見舞われていて、それは列車の事故で生存者は奇跡的に主人公がたった1名だけというようなものであった。他にも車で事故を起こすが傷一つ負わずにいたりと数奇な運命の持ち主である。そんな折に主人公は変わり者の男(サミュエル・ジャクソン)に出会う。この男こそが主人公の信じ難い危機回避能力というか動物以上に長けた潜在能力を見出す。主人公は毎日、悶々とした日々を送っていた、それはまさに自分が何かをしなければいけないのかわからず、希薄ともいえる生活の中で過ごしていたのである。しかし、次第に主人公は自分のなかにヒーローという存在を感じ始めるようになる。実際に彼の力は自分にだけではなく身の回りにいる人々の危機を嗅ぎわけることができるようになる。そして、自分の力を役立てることができて彼には清々しさが溢れてるように感じられた。


とここで終わればグッドエンディング(味気ない?)なのだが、シャマラン監督の作品には毎回ドンデン返しが待っている、シックスセンスであったりパニックルームであったりヴィレッジであったり、いつも話の中の裏側を見せようとしている。それがいいのか悪いのかを考えると、最後のどんでん返しがいつも映画の雰囲気を壊すのではなく映画の印象をより強く引き立たせている効果があると思う。今回の映画では主人公の能力を見出した変わり者は精神的に病んでいる人間であって、自分の中の様々な弱さを呪って主人公のようなヒーローを捜し求めていたのであった。この変わり者が主人公と出会うきっかけは自分で大惨事を起こしその中から彼を見つけていたのである。彼の数奇な運命はこの変わり者によってかたどられたものだった。


映画を観ての感想はやはりヒーローの存在をどう思うかで、ヒーローが生まれるのは偶然であることもあるだろうし、ヒーローの力があるからこそなれるもの・・・それを一番最後のところでヒーローとか人智を超えた超能力といったものを人の手でつくったかのように錯覚させているところが、映画の世界の中に観ている側を引き込むしかけがあって、すごく巧妙に思えておもしろかった。