.

この身体がコンプレックスだった。

低い身長、小さな手足。


人の視線が怖くて、

通り過ぎる人の首より上は見れなかった。


それでも、生きていくためには、

外に出なければいけない。


癖になりつつある、

外出前の、胃液が上がってくる感覚も、

今となっては、もう良い思い出だ。



「好きです!付き合ってください!」


ある日の大学の授業終わりに、

気付いたら、目の前に腰を90度にまで折った青年がいた。

そして、その頭の横から出ているものを目で追うと、

私の真横に手があった。

この人は、自分の手の長さをあまり理解していないようだった。


「あの、とりあえず、顔を上げてください」


そう言うと、腕を引きながら上体を起こす青年。

見る見るうちに頭が頭上高くへ戻される。

私とは真逆の、背の高い、大きい人。


こわい。


最初は、そんな気持ちだった。

いつものように、顔を下げると、目の前はちょうど、

彼の胃の位置だった。


「えっと、何で私…」

「何か、猫みたいで可愛くて」


小さくて、気の許した人には笑顔を見せるのに、

そうじゃない人には目も合わせない感じが、

たまらなく庇護欲を掻き立てられる、と続けた。


「そんなの、あなたくらいの身長なら、
 いっぱいいるじゃないですか。からかうのは止めてください」


そう答えて、断ったはずだった。

けれど、向こうはそうは思っていなかったようで、

同じ学部だったこともあり、選択科目の授業まで、

私と同じものを取り始め、隣の席にいることが増えた。


最初のうちは別の場所に移動しようとしたが、

彼の「知らないやつの隣に行けるの?」という、

私の図星を押さえた言葉に、負け続けた。


そのうち、彼の仲間に「付き合ってんの?」と

からかわれることがあっても、

彼は一度も私を「彼女」だとは言わず、

「その前の愛を育み中だから」と答えていた。

意外と誠実で、大きな忠犬という感じだった。


そして、3ヵ月後。

耳の垂れた大型犬が、そこにはいた。


「好きです。まだ気持ちは変わりませんか?」


正直、気持ちは、変わっていた。

授業前にスマホを適当に触っている私に、

お構いなく話しかけるのだが、

嬉しそうに話す時の彼の顔が見たくて、

慣れない角度まで目線を上げることが増えた。

そうすると、彼越しに教室内の人達が見えて、

色んな人がいることを知れた。

イチョウの葉なんて、

地面に落ちてるものしか見てこなかった私が、

木に付いているものを見るようになった。

見上げることが、苦痛ではなくなった。


「もう少し、」

「うん」

「愛を育んでくれると嬉しい」

「はい!」


前向きな返事だと分かってくれたのか、

長い腕をブンブンと振り回していた。


こんな私を好きだと言ってくれる人がいる、

それだけで、世界が変わってしまうなんて、

思いもよらなかった。


でも、君が私を「猫」だと比喩するから、

もう少し答えを出さないっていうワガママするね。



終幕.
.


あなたは 考えたことがありますか?

どこからが右で、どこからが左なのか。


ある人は両手を横に真っ直ぐ伸ばした後、

右腕をそこから斜め45度まで動かして、

「ここまで右」と言いました。


ある人は、自分の正面まで腕を動かし、

「ここまで右」と言いました。


そして、私はこう訊ねます。

「それを何故、右と呼ぶのですか?」


その後、お医者さんは、こう言いました。

「君は、左右盲さんなんだねぇ」


左右盲とは、左右が咄嗟に分からなくなる、

病気ではないけれど、不便な頭の構造です。


たとえば、小学生の頃のドッジボールで、

「右だ!よけろ!」と言われ、

当たりに行くことがありましたし、

未だに、視力検査の時に、

上下以外は指を使っていますし、

車の運転中に、ナビに「右折です」と言われ、

曲がれないことが多々あります。


原因は分かってないらしいですが、

親に利き手を直されると出ることがあるとか。

でも、私の場合、直したことは一度もないと

母から聞いているので、

みんなの言っている「右」とか「左」という言葉に

馴染めていないだけなのかもしれません。


今は、腕に時計をつけることで、

時計のある方が、みんなが呼んでいる「左」という方向、

と認識することにしています。


さて、ここで問題です。

最近、私が混乱した日はいつでしょうか?


正解は、健康診断の時です。


時計等を外すように言われ、採血の所に行くと、

何でもない顔で看護師さんが

「はい、左腕を出してください」と言うので、

戸惑ったら負けだと思い、両腕を出しました。

ナイス判断だったなと、自分では思ってます。


さて、最初の質問に戻りますが、

どこからが右で、どこからが左か、

私の答えは、こうです。


「右とか左という区切りはありません」



終幕.
.


人類の宝が、また一つ、奪われた。

そんな感覚になったっていいじゃない。

芸能人は、触れられないからこそ、価値があるのだ。



「人気イケメン俳優・鮫俵 結婚!」


垂れ流しになっていた事務所のテレビから聞こえた声に、

女性社員を始め、事務所内の人の目が、そちらに向いた。

しばらくすると、どこからか、すすり泣く声が聞こえ、

そして、遠くなった。

その後、戻ってきたその人は「体調不良で早退」した。


早退を許した部長は、その人が見えなくなってから、

しばらくして「そこまでかね」と言っていたが、

そこまでなんです、誰かのファンでいる人は。


たとえば、親A会社の「独身」という商品の、

パッケージ・内容物・量、そのどれもが好きで、

何年も愛用してきたにも関わらず、

突然、今日からB妻会社のCという商品に変わり、

パッケージが「既婚者」ということになりますが、

変わらずの応援よろしくお願いします、と言われて、

「はい、そうですか」ってなる人と、

そうならない人がいる訳で。


だから、困惑したり、淋しかったりすることは、

何の不思議でもないし、

部長の言う通り、「そこまで」と思う人もいれば、

「それが全てだった」と思っている人もいる。


そういう「本気の人達」がいることを知っているにも関わらず、

どうして芸能人はCという商品になりたがるのでしょうか。

覚悟が足りないのでは?

そんな誰かの心の支えを折っておきながら訪れる幸せで、

あなたは幸せなのですか?



かくいう私も、週刊の漫画誌のとあるキャラのファンで、

ただ、内容が内容なだけに、主人公を庇い、

命日が近いのではと、ファンの間で噂されている。

それでも、Cという商品に変わることはない時点で、

生産終了まで見届ける気持ちでいた。


今日発売の週刊誌を、お昼休みに読むまでは。



「部長、私も早退させてください」

「君まで一体どうしたんだね?」


「大好きな人がヒロインと恋仲だった挙句、

 キスしながら死にました! 私も死にたい気持ちです!」



終幕.