何気なくテレビを見ながら作業をしていたら、小津安二郎作品のようなCMが。

天下一品CM集

こってりしすぎな感がしますけど、たまに食べたくなります。
好きです。

それにしてもベッキーあわないなあ・・・。
お父さん役は天下一品の社長らしい。

許可もらってるのかなあ。

検索したら2008年2月には放送されていたみたいですね。
今回は「小説の語り方」のお話です。

ミステリ(ー)というジャンルには叙述トリックというものがあります。
これは、小説の特性を利用して読者を騙す(翻弄)する手法です。

例えば、同一人物が全く違う名前で堂々と登場することがあります。
これは、読者からは登場人物の顔がわからないことを利用したものです。

他にもあると思います。
映像と違って、視覚と聴覚を(直接的に)使わないことがキーになりますね。
まだミステリというジャンルを読み始めて日が浅い私の場合上記の例しか思いつきませんが。

今まで読んだ中では、森博嗣が結構この手法をとっていますね。
『今はもうない』であったり…、『そして二人だけになった』もそうかな。

叙述トリックといえば、綾辻行人の『十角館の殺人』が特に有名ですね。
まだ読んではいないので是非読んでみたいところです。

こうした叙述トリックに近いことは、映像でも試されて入ると思います。
ですが、鮮やかなものにはまだであったことがないように思えます。
きっとあるとは思うんですけどね。

映像にしろ、小説にしろこういった「さくっと」受け手を騙してくれる作品は読んだ後爽快になります。
騙されるためにみているようなところもありますから。
昨日地上波で『ハイアンドシーク』がやっていたので作業をしながら横目で見ていました。
そこで気づいたことをば。

『セブン』とかもそうですがサイコ系というかサスペンス系というかこういったジャンルの作品は結局
探偵小説と同じ構造をしていますね。

どういうことかっていいますと、何か読者(視聴者)には最初わからないような謎があって、それが終盤までなにかわからない。
探偵小説はその謎を解き明かすことを目的としていて、サイコスリラーはその謎を恐怖に変えていると感じたのです。
「謎」がキーワードですね。
結局最後はその謎が解けるというのがソリューション。

『キューブ』とかもそうですが、謎がある映画がちょっと前まで好きだったように思います。
いまもその傾向は変わっていないのかもしれないとも。
最近探偵小説(ミステリ)に関しても結構好きなんですよね。

話は変わりますが、ここのところ「ポニョ 違和感」 というキーワードでこのブログに行き当たっている方がいるようです。
いままでの宮崎作品と比べて違和感があったのか、それとも作品それ自体が違和感があったのか。
どちらにしても変わった映画なんですねえ。
ドキュメンタリーしかみてないですけどね。
あの水魚とかいうのに波乗りしてくるシーンは少なくとも良さそうだなとはおもいます。

追記

「ポニョ 違和感」で検索したらすでにグーグルで5位にはいっていました。