概ね1カ月と10日ぶりの更新となりました。

5月は休みが少なくて、暇人と言える状況ではなく、こうなった次第です。

城址シリーズの続きですが、画像自体は4月21日に撮影したものです。

今回は一宮市東方、江南市境の住宅街の中に位置する下奈良城址です。

この城址は、1584年の長久手合戦で、秀吉が砦として築いた平城と言われています。

当然、石碑のみで城郭などは存在していません。

小牧・長久手の合戦は、羽柴秀吉と徳川家康・織田信雄との戦いで、この一帯が最前線として重要な地域となっていたそうです。

秀吉と信雄の講和がなった後、下奈良城の道具類を河田砦へ移すように命じた文書が認められることから、下奈良城の存在が考えられています。

下奈良城から小牧城まで約8.2キロ、長久手古戦場まで約32キロの距離があり、徒歩での移動を考えるとぞっとします。

小牧・長久手の戦いは、犬山市、守山区、尾張旭市、春日井市、岩倉市、一宮市、蟹江町と広域にわたって行われた戦いであることを今回知ることができました。

更に広い視野でみると、四国や北陸、三重県の大名も連動して合戦を繰り広げており、関ケ原の戦いを思わせるようなスケールの戦いだったのです。

秀吉が戦術的に敗北する戦いなので、あまり好きではなかったのですが、少し興味が出てきました。

ちなみに、この石碑は平成20年に地元の研究会によって建立されたものです。

この城址の北西方には、一宮市地域文化広場が所在しており、プラネタリウムやアスレチックを楽しむことができます。

特にアスレチックは週1くらいの頻度で通っていまして、こんな近くに城址があったのは驚きでした。

ともかく、ようやく更新することが出来て、一安心です。

まだ、ネタが残っていますので、早めに更新したいと思います。